松原照子世見
2021年3月8日(月)

一条戻橋  

安倍晴明と縁の深い、一条戻橋。
千利休は切腹後、その首はこの一条戻橋に晒されました。
橋といえば、川の流れの上に人々を運ぶ通り道。現代では海の上にも橋が架かり、人々を目的地に連れて行ってくれています。
でもね。
昔は、この世とあの世を繋ぐ存在でもあると思われていたのです。
逸話が数多く残っているのが、京都の一条通りの堀川に架かる一条戻橋です。
千利休はこの一条戻橋で晒し首になったのです。
戻橋と呼ばれる由来は、死者が戻って来た伝承からでした。
「三善清行という漢学者の葬列がこの橋を通った時、息子の浄蔵が棺に縋りつき泣いていると、雷鳴が轟いたと同時に清行が蘇生したのです」
このことから、土御門橋がいつの間にか戻橋と言われるようになったと言われています。
もしかすると、豊臣秀吉は千利休に切腹を命じたものの、清行のように蘇生して欲しさにこの一条戻橋に首を晒したのかもしれません。

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かもしれない~、違うかもしれない~


でも首だけでは蘇生は難しいのですが、この世とあの世を繋ぐ存在の橋に、秀吉の思いがあったかもしれません。
でも、この橋に対しての秀吉の思い入れは少し違うかもしれません。
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かもしれない~、違うかもしれない~

反旗を翻した島津歳久の馘首をこの橋で行ったし、キリスト教禁教令の見せしめとして26人の信徒の耳を切り落とさせたとも伝えられているのがこの橋です。
現在の一条戻橋は1995年に架けられたものですが、橋のたもとにある晴明神社には、それ以前の橋に使われていた建材で作られたミニチュアの橋が保管されていると言います。
嫁入りの際には、「戻ってはいけない」という習慣から、この橋は渡らないのです。
晴明神社から南に100m、その場所にこの一条戻橋はあります。