松原照子世見
2021年1月4日(月)
お正月の思い出
4日になると、随分とお正月気分が薄れます。
↑↑
1ヶ月前や、10日前に書いていると言う世見…
このようなリアルタイムの感情を書けるのでしょうか…?
矛盾だらけなんですよね…
私の子供の頃は、初荷の旗を立てたトラックが新年を祝いながら走っているのを、4日にはよく見かけました。
今では見ることは出来ませんが、結婚した喜びが満ち溢れる結婚後の所帯に必要な、タンスや鏡台や布団などを乗せた祝いトラックも、よく見かけたものです。
紅白の紐がたなびく祝いトラックは、見るものにも幸せを分けてくれていました。
私も結婚する時は、祝トラックを家から出したいとも思いました。
そうそう、結婚が決まり、所帯道具を親しい人に披露する行事もありました。
私も、母親に連れられてお祝いに出掛けると、昆布茶を出してもらったのを思い出します。
↑↑
松原照子氏は母親が亡くなってから、戸籍を見て
「本当の両親ではない事を知った」と書いていました。
64~67歳くらいでしたか?
不思議なのは結婚する時には両親から戸籍を外しているハズです…
その時にも戸籍を見ていると思う~、気がする~、感じる~、心配~
このような思い出も 遠い昔。
覚えている人も少なくなりました。
↑↑
「2012年1月20日NPO地球家族を立ち上げましたが、
現実は取り組むべきことが多く、一進一退しているのが現状です。現在まで、足寄町役場の施設において仮称:F・I・S農法(浮島)の実験は致しました。(足寄町役場の方は松原照子を知らないと否定)
高齢者でもイスに座りながら作業が出来る特典もあり、未来農業の在り方を
感じてもおります。
感じてもおります。
ただ、ビニールハウスや温泉設備はJAや役場が応援して下さるものの、(嘘)
その中に入れる設備費用をご支援頂かなければ夢を現実にするのには
まだまだ大きな山を越えなければいけません。
私が考えている小さな設備でも3千万円位は掛かります。」
その中に入れる設備費用をご支援頂かなければ夢を現実にするのには
まだまだ大きな山を越えなければいけません。
私が考えている小さな設備でも3千万円位は掛かります。」
そして、協力してほしいとブログを有料化にした事は遠い昔…
覚えている人も少なくなりました…(>_<)
2日の日の「書留」を忘れている人も多い気がします。
子供の頃は、お正月の3が日は殆どのお店がお休みだったと思います。
おせちの重要性は、こうした世の中だからこそ生まれた、とてもいい食事習慣だったと思います。
おせちは、1年中働きつめの母親を料理から解放するのも目的のひとつでした。
お雑煮をお正月に召しあがる人も少なくなった気もしますし、羽根突き、駒回しに凧揚げも見ることも出来ません。
竹馬というのもありましたね。
日本の情緒が薄れてしまった気がするお正月。
新年を迎える元旦には、着物を着て気を引き締めていました。父の着物姿はいい男ぶりで、忘れることは出来ません。
着物を着た父が、熱燗の徳利が入った鍋を火鉢に乗せている光景は、まさにお正月でした。
↑↑
不思議な世界の方々も子供の頃から松原照子氏の前に現れては、色々、教えていたみたいですが…
なぜ、本当の両親の事を教えなかったのでしょうか?
まさか、もうその設定も忘れてしまった!?