世見
2020年11月15日(日)

時の流れを感じながら  

時の流れがもたらすものは自分の過去。
「過去」といったってね。
思い出せることもあれば、思い出せないこともある。
殆どの場合、記憶に留めて置くことの方が少ないのが現実だ。
だぁってね。
「一週間前の夕食、何だった?」
と急に聞かれても、よっぽど特別なことがない以外は思い出せないか、思い出すのに時間がかかります。
一年前になると、私など思い出すことは出来ません。
そうなのですよ。
私達って今の自分しか心に刻めないのです。
大きな問題を抱えているか、自分にとっては悩めるポイントを心に抱えているかしか、心というのは重要ではないのです。
だからね。
問題が起きていない限り、人ってその人の生活リズムに併せて時の流れを感じながら生きているのです。
そりゃね。
環境も立場も性別も感性も違うことでしょうが、人って穏やかな日々の方が多いと私は思っています。
どんなにざわつく毎日であっても、心の中は休息している時がきっとあると思っているのです。
だからね。
永悩みをしないで欲しいのです。
今日このことを書きたくなったのは、私のこの世見をお読みくださる方の中に、「自分だけが何故こんなに問題ばかり起きるのだろう」
と思われておられる方の“気”を感じたからです。
どんな思いの時も、過ぎてしまえば意外と忘れられているのです。
どうか深悩みをなさりませぬように。

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悩みを抱えたことのない人はいないでしょう…

常に悩みは抱えているものです

他人から見れば、小さな悩みかもしれませんが、本人にとっては大きな悩みだったりします

時間が解決すると言いますが、忘れられるまでは
その人にとっては、とても辛い時間だと思います
その時間をどうやって乗り切るかも、人それぞれだと思ってます…
病むとは神様から白紙の手紙を頂いたということだと思います…
心して読めば、きっと成長出来ることと思います…

私も悩んで悩んで辛い思いを沢山して成長してこれたと思います…

本当に友に家族に感謝です