世見
2020年6月27日(土)

近藤勇と沖田総司  

「天然理心流(てんねんりしんりゅう)」
ご存知ですか? 天然理心流を。
剣術、居合術、柔術、棒術、活法、気合術を含む総合武術で、鹿島神道流を起源にしているのですってね。
現代においても、当時とまったく同じ順序で稽古を進めていると言うのですから、凄いことです。
天然理心流には、切紙、序目録、中極意、目録、免許、允可、指南免許といった階梯が昔からあり、今も守られているのです。
天然理心流と言えば、近藤勇、沖田総司が思い浮かぶ人は、幕末史がお好きな方かもしれません。
近藤勇は農民から武士へ、そして旗本へと転身をして、後に正体を官軍に知られてしまい、武士の最後の切腹を許されることなく、35歳で板橋の刑場において斬首されてしまった人です。
沖田総司は「天才剣士」「夭折の美男子」「冷酷な殺し屋」‥‥このようなイメージを持つ人が多いようです。
幼名は惣次郎。総司は4歳の時に父を亡くし、母も幼い頃に亡くしています。
15歳には、師と共に出稽古に出掛けるほどの腕前だったようです。
近藤勇が4代目宗家を継ぐ時には、総司は塾頭になっていました。
沖田総司は近藤勇より8つ年下です。
勇と総司は浪士組募集に応じて上洛しました。
芹沢鴨は総司の手に掛かって落命していますが、河部十郎が言ったように、総司は誠に残酷な人間だったのでしょうか。
総司のラブは悲恋で終わりました。
それは、いつ総司が死ぬかわからなかったからです。
新選組と言えば「池田屋事件」、総司も当然加わりましたが、斬り込みの途中で昏倒。肺結核でした。
病身の総司は、植木屋の離れ座敷で最後の日を迎えました。
享年26歳、若いです。
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Google検索歴史説明世見でした…

昨日の世見は5月21日に書いていると書いていたので…
5月22日に書いているのでしょうか?