松原照子世見
2020年5月25日(月)

志村けんさんの思い出  

「いつ何が起きるかわからない」とは言われますが、まさかと思う出来事の一つが新型コロナウイルスの拡散です。
志村けんさんが亡くなられてから、この29日で2ヵ月が経ちます。
志村けんさんとは、母と私と三人でエレベーターに乗った思い出があります。
先に乗っておられたのが志村けんさんで、黒の帽子を被り、テレビで拝見するそのままの表情で、私達親子が乗るのを待ってくれていました。
エレベーターに乗り合わせた場所は熱海の旅館。
母と私は浴衣に半天姿。二人が大ファンの志村けんさんと乗り合わせてテンションマックスの私は、「お母さんお母さん、お母さんの大好きな志村けんさんよ」と母に声高に言いますと、母も緊張気味に深々と頭を下げたのです。
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言葉が標準語にされている時点で、怪しい…(笑)


志村けんさんはにこやかに私と母を見ていましたが、降り際に「おばあちゃん お元気で」と言って先に降りられました。
このことがあってからの母は、テレビに志村けんさんが出ていると、まるで知り合いのように喜びました。
母も今頃あの世で、志村けんさんのコントに喜んでいることでしょう。
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あの世で…
コントに喜んでいる…?

このことがあってから、有名人の力の凄さを感じます。
有名人は通りすがりの人にまで気を使わなくてはいけません。
でもね。志村けんさんのお心遣いによって、亡くなるまで志村けんさんと出会えたことが母の自慢でしたから、ありがたいなぁと思っています。
人との出会いは偶然なのか必然なのか、こんなことはどうでもいいのです。
出会えたことで元気の出る人がいればいいのです。
それと言葉。言葉は人を傷付けもしますし、勇気付けすることも出来ます。
志村けんさんが母に言ってくれた、「おばあちゃんお元気で」の一言で母が元気になってくれたのは本当のお話です。
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これは本当なの?

嘘が多いので…

もう、何もかも信用が出来ないです…

嘘はダメです。

人を騙す事はダメです。

嘘ついてまでお金が欲しいと思いません。

心を捨てたくはありません。