松原照子世見
2020年5月8日(金)


弘法大師 空海  

 虚空尽き(こうくうつき)
 衆生尽き(しゅじょうつき)
 涅槃尽きなば(ねはんつきなば)
 我が願いも尽きなん(わがねがいもつきなん)
現代語に訳しますと
 宇宙がなくなり 人間は誰もいなくなり
 悟りもなくなってしまうまで
 私の願いは尽きません
空海58歳の時の言葉です。
とても重い言葉です。
真言宗の宗祖の空海は、醍醐天皇より弘法大師の諡号を賜りました。
後には「大師は弘法に奪われ、関白は秀吉に奪われる」とまで言われるようになって行きます。
諡号(しごう)、又の呼び名で大師号を朝廷から賜った高僧は25人いました。その中でも空海は、誰もが認めた大師だったのです。
私達も大師といえば弘法大師を指すほどの有名人です。
空海は多くの人々から信仰を集め、敬慕の念の中に親しみを込めて“お大師さん”とか“お大師様”と呼ばれてきました。
当時の国際都市、長安で学んだといわれる留学生・空海は、どのような思いで長安に出掛けたのでしょう。
長安は唐朝の文化や文芸の盛んな国際都市。空海は日本の文化史上にこのことを大きく開花させた偉人なのです。
「風信帖」(ふうしんじょう)というと、私などはまるで忍者の秘術帖に思うくらいのタイトルですが、正確には「弘法大師筆尺牘(せきとく)三通」という指定名称がある国宝のことです。
風信帖の歴史的意義はわかりませんが、東アジアの最高峰の文化の中心地都市である長安に出掛ける勇気には、お見事としか言えません。
今とは違い命懸けの旅であったのがわかりますし、言葉をどのように覚えたかにも興味が湧きます。今も尚人々を惹きつける魅力には感動を覚えます。
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