松原照子世見
2020年4月26日(日)

伊能忠敬の偉業  

伊能忠敬の生き方が私は大好きです。
今とは違い、50歳といえばもうすでに老人でした。
忠敬も隠居老人でしたが、50歳の時に、当時31歳の高橋至時に弟子入りして測量術を学んだと言うのですから立派です。
ごく普通の隠居老人は、測量法を踏襲しながら工夫を交えて、見事な日本地図を作製したのです。なんてステキな生き方でしょう。
ロシアの南下政策に畏怖を感じていた幕府が、蝦夷地の測量を忠敬に命じたことがきっかけとはいえ、大日本沿海輿地全図を完成させたのですから凄い偉業です。
忠敬は高輪の大木戸をスタート地点として、日本全国の測量を開始しました。
17年にも及ぶ旅の日々が待っていましたが、御年55歳になってからの測量の旅です。江戸時代ですよ。
あの当時では55歳は高齢者でした。
忠敬は喘息持ちで身体だって弱かったのですから、よほどの覚悟がないと成し遂げられなかったことでしょう。
師匠の高橋至時によれば、忠敬は、年齢のせいか非常に忘れっぽいと言われていたみたいです。
私は誰もが忠敬になれるとは思いませんが、何もしないというのは違う気がするのです。
忠敬のように情熱的で根気強く、物事に対して徹底して取り組めば、高齢者であっても、掲げた目標に向かって偉業を成し得るのだと思います。
日本全国測量の旅に出た時のメンバーは、忠敬と内弟子3人、そして下僕の2人でした。
きっと困難続きだったことでしょう。
伸び縮みする縄ではなく、鉄製の器具を採用したことが、忠敬が正確な距離が測れた要因なのだと思います。
私達も、年齢でいろんなことに答を出さず、忠敬のように頑張りたいものです。

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最近、テレビでこの方の説明を見た気がします…
いつもの歴史説明世見でした。