松原照子世見
2020年3月19日(木)
聖徳太子の時代
自分の人生を振り返って見れば、あんなこともこんなこともあったと思い出せるのですが、日頃は自分の過去の出来事を思い出すでもなく、今の現実の諸々に振り回されて生きている。
そんな思いがいたします。
人間故に飛来する思いは誰も同じで、境遇や立場や性別や年齢が違っても、同じような場面で悩み、喜んでいると私は思います。
だからね。どんなに悩みが深くても、自分だけが何故こんなに苦しいのとは思わない方が得だと思うのです。
そりゃね、悩んでいる時は自分だけの思いだから心の中は疲れることでしょう。
きっと、あの聖徳太子だって人の子、私達と同じような場面で悩み、同じような場面で喜びを感じていたと思うのです。
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無理矢理に聖徳太子と話しを繋げましたね…(笑)
聖徳太子の故郷の飛鳥・斑鳩に行ってみると、世界最古の木造建築、法隆寺があります。
蘇我入鹿の首塚と伝えられている五輪塔から飛鳥寺を望むと、古都飛鳥の代表的な風景も見られると思いますよ。
聖徳太子、と心の中でこの名前を言ったら、「天然痘」この言葉が理由なく浮かびます。
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そして、新型コロナウイルスでパンデミックになっていますから…
天然痘の話しも無理矢理に持ってきました…
新型コロナウイルスについての未来が何も見えなく書けませんからね…
過去のネタです…(´Д`)
過去の事しか書けない
予知能力者って…
なんなのでしょう?
天然痘ともう一度言ってみますと、百済より仏法が入った頃、天然痘が大流行したのだそうです。
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なぞ、もう一度言ってみた?(笑)
大流行したのだそうです?
白々しい…
Google検索して書き写してるだけなのにね…(笑)
蘇我の大臣馬子もどうやらこの天然痘に罹った一人のようです。
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どうやら…?(笑)
現代なら、天然痘の大流行を百済から来た仏法のせいにはしないのですが、当時は仏法のせいにし、「神々の怒り」という答を出し仏法を止めさせたのが天皇でした。百済から入って来た仏像も焼かれたといいます。
蘇我氏はもしかしたら、百済から渡来した一族だったかもしれません。
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もしかしてだけど~♪
もしかしてだけど~♪
かもしれない??
「5~6世紀に密接な関係があった百済と倭国をつなぐ役割を果たしたのが、全羅道を拠点にした交易集団。そのなかで、飛鳥に移り住んだのがのちの蘇我氏になった」
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という説もありますからね。
説を引用して
かもしれない~って…(´Д`)
こんな曖昧な感想文で
「凄い!透視能力者!」
ってなると思います?(笑)
ここで登場するのが何故か守屋という人。どうやら鞍作も錦織も皆とっくに外地から来た氏族と云いたかったみたいです。
物部氏、蘇我氏、聖徳太子らの真の姿と史的役割は、争乱の渦中、闇に葬られたのかもしれませんね。
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かも、かも、かも~
わからいけど~、ネットに書いているから~
いつもの
松原照子の曖昧歴史感想文…
なにも新しい情報などありません。