松原照子世見
2019年1月6日(月)

真田昌幸  

歴史を改めて見てみると、人の人生って実に不可思議過ぎるのです。
1582年3月、武田家が滅亡しました。その3ヵ月後に本能寺の変が起き、織田信長が亡くなったと言われています。
私は、信長は本能寺の変では亡くなってはいない思いもしていますが、今日は亡くなったとして次に進みます。
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曖昧…
ずっと曖昧…(´Д`)

ネット検索しても曖昧にしか説を書かれていませんからね…
ハッキリと答えを書いていない事はハッキリと書けない透視能力者、不思議な世界の方々です…(´Д`)

武田滅亡後、旧武田領の甲斐・信濃・上野では覇権を争う天生壬午の乱が起きました。
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大正10年3月に甲州征伐を開始した織田信長が武田を滅亡させ、織田政権下に組み込まれた。
本能寺の変で実質的な統治者がいなくなったから、天正壬午の乱が起きたのですよね。



この争いに名乗りを上げたのが北条、徳川、上杉です。
この時登場したのが真田昌幸でした。
真田昌幸といえば幸村の父親。
どうも私達は真田幸村を主役にしたくなるのですが、昌幸を知らずしてこの時代は語れないと私は思うのです。
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私達…?

天正壬午の乱の主役は昌幸だったと私は思うのです。
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思う~、気がする~、わからないけど~、ネットに書いていたから~

本能寺の変を何処で聞いたのかはわかりませんが、武田の重臣であった昌幸は生き残りをかけて徳川に従っていたのです。昌幸にとってはチャンス到来でした。
人の運とは自分の力だけではないようです。
武田時代に支配していた信州小県から上州吾妻、沼田までの領地を昌幸は手に入れたのです。
この時代の歴史に詳しい人は、真田昌幸をどのように思っているのでしょう。
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沢山の方が詳しく書かれといます。

私は、人生に於いて運気が下がったと思っていても、本当は運気上昇の前ぶれの時があると思っているのです。
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思う~、気がする~
ふーん…

で?

今の世とは違い、読み違えると命が亡くなる時代です。
現代人が想像出来ない死との戦いの日々。間違いなく気の緩みが命取りになりますし、最悪な事態にもなるのです。
私は、真田昌幸なる人こそがあの当時の主役級に思えて来るのです。
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主役級って…
重要人物の一人ですからね…
曖昧…(´Д`)

昌幸なる人物像とは、“恩”を重んじた人に思えて仕方がありません。
“恩”、この言葉を私達も大切にしたいものです
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いつもの歴代感想文…

新しい情報なし…

予知能力も透視能力も不思議な世界の方々も必要なし…

小学生並のただの感想文でした…