世見 2019年7月3日(水)
岩崎彌太郎
らは
多くの富を手にした財閥。いったいどれだけの富を得たのでしょう。明治維新の動乱の中で、巨額の富を得たトップは、やはり岩崎彌太郎だと思います。
高知県という土地柄が、坂本龍馬を生み、岩崎彌太郎をも育てたのだろうか。
人は人との出会いで運気を上げますが、下げもします。
彌太郎にとって、後藤象二郎との出会いは、まさに運気上昇の始まりだった。
ご相談をさせていただくようになって思うことは、運気をアップする方法のひとつが“考え方”にあるということです。
いつもご自分を責め立てている時は、良き運が近くにあっても自分自身の胸の内にある不安や不満を重視していることが多く、前向きな思いが少ないことから、運気を下げていると思えるのです。
彌太郎の顔写真を見ていると、意志強固にして豪気な性格に見えますが、人恋しい人に思えて仕方がありません。
三菱の紋所は、土佐藩主山内家の家紋に似ています。
きっと土佐国が誇らしかったのでしょう。
上野の不忍池に出掛けてみると、蓮の花が咲く頃は何とも言えない風情が漂います。この不忍池の近くには岩崎邸がありました。
約15,000坪の敷地に20棟もの建物があったと言います。
現在の表価格だといくらになるのでしょう。
名を残す人には又、名を残す人が登場します。
大久保利通、西郷隆盛、福沢諭吉、渋沢栄一、大倉喜八郎、松方正義、後藤象二郎‥‥。
日本紙幣に登場する人が二人もいます。
彌太郎が生まれた天保という時代がどんな時代なのかわかりませんが、江戸へ遊学出来たのですから、彼には、頭の回転の良さとツキを呼び込む力があったのでしょう。
彌太郎から学べることは、家柄ではなく「我を信じて生きる」ことかもしれません。
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以上、歴史感想文でした…