世見 6月29日(土)
河合継之助
↑↑
タラレバ娘 松原照子…

Google検索して情報収集が日課の松原照子。
私は思うのです。彼のような人が今の日本の中心にいたら、国の利益をつくり出してくれていたはずだと‥‥。
↑↑
私は思うって…
Google検索しても、そう書かれているでしょう(笑)
越後長岡藩邸の主なる品々を売って大量の銃を買ったり、又、江戸で買った米を相場が高い函館で売ったり、江戸から持ち帰った二万両分の銅銭を、銭相場が高い新潟で売却して大きな利益を上げたりと、かなりの商売人です。
↑↑
Google検索して出てくる情報を書いているだけ。
↑↑
お金大好き松原照子氏だからね…。
スナックのママをしていた松原照子にそんな男性が振り向くとは思いませんが…、気がする~
ガトリング砲2門をスイス人の貿易商から購入するあたり、継之助は肝が座っていると思ってしまいます。当時、日本にはこのガトリング砲は3門しかありませんでしたからね。
↑↑
凄い情報を書いているつもるなのでしょうか…
Google検索したら出てくら情報ばかり…(´Д`)
自らこのガトリング砲を連射して防戦したのですが、左肩を負傷し、その後城下新町での戦闘で左足の膝下を負傷、このことが原因で新政府軍は敗れたのです。
↑↑
歴史を書き並べているだけ(笑)
遺体は火葬にすべしと命じ、次の日の午後、寝入ると暫くしてこの世を去りました。今でも建福寺にお墓があるのでしょうか。
北越戦争がなかったならば、彼はどのような人生を送ったのでしょうね。
↑↑
最後も「タラレバ」
もしも~、あの時あーしたら~、こうしたら~、変わっていたかもしれない~、
以上、浅い日本の歴史感想文でした…
予知能力も不思議な世界の方々も必要としない内容です。