松原照子世見 2019年5月30日(木)
私の好きな場所のひとつが「淺草」です。
浅草寺には有名な雷門があります。現在の雷門は、1960年に松下幸之助の寄進によって再建されたもので、実は1865年、この雷門も火災で焼失していたのです。
明治、大正、そして昭和の35年まで、浅草寺に雷門はありませんでした。
今では、雷門は浅草のシンボルです。
雷門は正式には風雷神門ですが、このように呼ぶ人は見かけません。
歌川広重が描いた浅草金龍山の絵を見た人もおられることでしょう。
この絵を見ると、「?」と思う人もいるかもしれません。
現在の宝蔵門と五重塔の位置が違うのです。
江戸時代、歌川広重が描いた時は、宝蔵門を正面にして五重塔は右にあります。
ところが現在は左です。
何度となく浅草寺にお参りに行っている私も気にはしませんでしたが、浅草寺の五重塔は、第二次世界大戦時、1945年の東京大空襲で焼失していたのです。
そして、1973年に新しく再建されたのが今の五重塔なのです。
江戸時代、歌川広重が浅草寺の光景を描いた一枚の絵は、私達に歴史を教えてくれます。
この絵では、大提灯の上の方は描かれていないので「橋」の上の字はわからなかったのですが、これは「志ん橋」(新橋)でした。
もしかすると、あなたのお近くの有名な場所も、今と昔では異なる物語があるかもしれません。
昔の絵図と今とを見比べると、時代の移り変わりがわかります。
仲見世も、よしず張り簡易屋台から、明治に入り煉瓦造り、そして今ではコンクリート造りになっています。
今日くらいは、パソコンで昔の絵図をゆっくりとご覧になり、昔に思いを馳せてみては如何でしょうか。
↑↑
以上、松原照子のパソコンでGoogle検索しての感想文世見でした…(´Д`)