松原照子世見 2019年5月22日(水)
戦国の世
インスタント食品が数多く出回り、24時間食堂のコンビニまであります。
日本の戦国時代の食事ってどんな風だったのだろうと、フッと思ったりもします。
豊臣秀吉の野望は、隣国の歴史を変えました。
あの朝鮮出兵に兵として送り出された、総勢16万人、延べ30万の兵力。
この16万人の大軍は9軍に編成されていました。
釜山に上陸。首都の漢城を占領し、明国との国境付近まで到達したものの、破れ後退したのは有名なお話ですが、その時の兵士達の日々の食事がどのようであったか、実に興味深い。
戦国の世にあって、兵士の食事はとても重要だったと思います。
又、名を残した武将達には、死を賭けた戦いに於いての生命力も感じずにはおれません。
猛者達は敵の大軍に飛び込んで行きました。
戦国の世というのは美しき世界ではありません。
先頭に立つのは下級武士。平時は農作業もしていました。
手柄の証拠は首。兜首と称される重臣クラスの首は、兜を捨てると価値が下がったのです。
敵の兵士を打ちとれば打ちとるほど認められ、その時、首を腰にぶら下げるわけにもいかず、顔の鼻の下から上唇にかけて切り落としたといいます。
武功とはいえ、現代人には想像がつかないのが戦場です。
槍一本で手柄をあげた男達。
その中でも、前田利家は戦場の鬼人。
槍の又左と言われていましたが、敗ければ彼も又、首を切られていました。
加藤清正も槍一本で国を持ち、大名になった一人。
清正が建てた熊本城は、清正らしさが滲むお城です。
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以上、日本の歴史Google検索世見でした…