松原照子世見 2019年5月21日(火)
魔女という存在
幸福な日々が続いていると、いつか不幸な日が来るのではと不安にもなるし、不都合なことばかりが続くと、幸福は訪れないと思ってしまうこともある。
平穏な日常が続くと人生がつまらなく思えることもあれば、忙し過ぎるとゆったりと過ごしたくもなる。
時代が移り変わろうとも、人の心はあまり変化しないのかもしれません。
ただ、現在のように文明が進み、自分の心と向き合う時間が少なくなり、スマホやゲーム、パソコンと、様々な道具が考えることを忘れさせてくれると、心の在り様も変わってくると思われます。
人間がつくり出す群像は、時に人の心に“鬼”をつくり出すこともある。
古代ギリシャ・ローマ時代には、魔女をつくり出しました。
魔女をつくり出した背景には、超自然的な現象の裏付けがとれなかったからかもしれませんが、悪魔と結託して害悪を与えるのが魔女とされました。
今ならすぐにわかることがわからなかった頃に、人や家畜が突然なくなったり、災害で収穫が台無しになると、人々は魔女狩りを行いました。
邪馬台国の女王・卑弥呼も、中世のヨーロッパだったら魔女とされていたかもしれません。
中国の歴史書の倭人伝には、卑弥呼のことが「鬼道を事とし能く民衆を惑はす」と書いてあるとか。
中国では、古来より死者のことを鬼と言っていたようで、卑弥呼は死者の魂や先祖を祀り、その霊と交信が出来る人であったと思われるのです。
日本でも昔は、死ぬことを「鬼籍に入る」と言っていました。
卑弥呼は民衆に“神のお告げ”を伝えていたのでしょう。
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Google検索したら、書いてある情報を書いているだけですね‥…
Google検索世見でした…(´Д`)
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