松原照子世見 2019年4月28日(日)

満州国  

満州といっても、若者達には何の話かと思うかもしれませんね。
この満州の地に、日本人が建てた建築物が多く残っています。
日露戦争と言っても、今の子供達は歴史で学ぶくらいのことかもしれませんが、日露戦争の勝利後、日本は、遼東半島から東北部へと力を見せ付けるかのように支配を広げて行きました。
今でも大連に行くと、当時の日本人の凄さがわかります。
満州国と言えば、岸信介の名前が浮かんで来ます。
満州国は「二キ三スケ」が柱だと言われました。
東条英機の「機」、星野直樹の「樹」、この二つの「キ」と、鮎川義介の「介」、松岡洋右の「右」、そして岸信介の「介」の三つの「スケ」です。
岸信介の人脈による経営が始まった満州。
岸信介は何故、お金に不自由しなかったのだろうか。
岸信介と言う名を聞くと、アヘンと言う言葉が聞こえる。
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聞こえる~シリーズ(笑)

過去に何度、同じ事を書いてきたでしょうかね…(^◇^;)

ネット検索すれば出てくる有名な話し…(´Д`)

まさかとは思いますが、聞こえたので書いておきます。
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まさかとは思いますが‥…って(笑)

相変わらず白々しい詐欺師さんですこと…(´Д`)

東条英機内閣の時は、商工大臣に就任。
満州国は、帝国日本の敗北で消滅してしまいます。
そして岸信介首相が誕生します。
満州国ほど秘密が山盛りの国はありませんが、総理在職中は日米安保条約決定までの道のりは過酷なものでした。
「アンポ ハンタイ」全学連と日本中の学生が立ち上がったのはこの時でした。
私の娘時代の日本です。
安倍首相はこの頃のことをどのように思い出すのでしょう。
時は流れ、満州国のことを思い出す人も一人二人と減る現在ですが、満州に刻まれた日本人の想い。鉄道を敷き、街を建設したあの頃、満州に関わった人々はきっと楽しかったことでしょう。
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ただの歴史感想文…(´Д`)