松原照子世見 20193月25日(月)
日本語のルーツ
万葉集といえば、ロマンに満ちている感があります。人の世は、環境や日々の生活のリズムが違っても、昔も今も心のあり様が同じなのがわかります。
私達が気にも留めずに使う日本語。この日本語のルーツってどこなのだろうと思ったことはありませんか。
時代が移り行くと言葉も新語が登場し、又、死語も多く出ます。
現代では至る所が英語で書かれていて、年寄りが困るかなぁと思ったりもします。
古代の日本人達は、いったいどこで日本語を身に着けたのでしょう。
以前、この世見(よけん)でも書いたことがあるのですが、インドのネパールとブータンの中間辺り、ゼム氷河が広がる東ヒマラヤの谷底に暮らす少数民族のレプチャと呼ばれる人々は、日本人にそっくりだといいます。
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そうネットに書かれていますね…
ネパール人は、この少数民族の言葉を聞いていると非常に汚い言葉に聞こえたらしく、軽蔑して、“汚い言葉(レプ チャ)”と言ったことから、彼らはレプチャ人になったといいます。
交通不便な谷間で暮らすレプチャ人は、きっと古代から伝わる言葉が残ったのでしょう。
レプチャ人の服装は筒袖の着物で、正座しているのですから驚きです。
それだけではありません。レプチャ語は発音も意味も、殆ど日本語に近いとのことです。
万葉集、古事記、和名抄を読み解き、レプチャ語やチベット語の比較をすれば、古代人の種族達が日本列島にやって来たことがわかるそうです。
昔々の大昔、海人族がクパンなる船に乗って南九州に上陸したとも言います。
もしかすると九州弁のイントネーションは海人族が残した発音かもしれません。
言葉は大切に使いたいものです。
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かもしれない~、わからないけど~