松原照子世見 2019年3月5日(火)

中野竹子と会津女  
歴史を見ると、ほんの少しのことで物語が変わっていたのに気付きます。
もしかすると、私達もほんの少しのことで今があるのかもしれません。
激動の時代に生まれていたら、今の考え方ではないものが出来ていたかもしれません。
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いつもの
「タラレバ」
…(´Д`)

ひとつの時代が終わり行くのを、人々はどのような思いで体験しているのでしょう。
平成は残り少なくなりました。
新たな元号に代わる今、私達は何を感じ取ればいいのでしょうか。
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予知能力者松原照子様

新元号を発表される前に書いてみて下さいm(__)m

未来が見えるのなら書けますよね…?

大政奉還後も、日本の至る所で戦がありました。
戦と聞けば男世界と思いますが、会津戦争は、中野竹子と会津女の覚悟に満ちた壮絶なる死に様を見せつけました。
砲音が轟くその中にあって、竹子らは決死なる戦いを見せたといいます。
会津戦争においては、232名もの女性殉難者がいたといいます。
竹子の辞世の句は、
「もののふの 猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」
女というのは凄い底力があるものです。
竹子は、弾丸によって額を撃ち抜かれ亡くなりました。
当時の戦というのは、私達には想像が出来ません。
御首級を敵に渡さぬために切り落とすのですから、戦とは胸が痛くなります。
竹子の首は白羽を二重に包み、法界寺に葬られました。
22歳の竹子。現代の22歳の女子に竹子のような覚悟が出来るのでしょうか。
きっと、時代背景が人の心も育てるのでしょう。
竹子の介錯をしたのが妹の優子でした。
これも当時は姉妹愛だったのですからね。
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いやいや…

また歴史を書き並べただけ…

ただの歴史感想文…

小学生だったら、先生に注意されるレベルの感想文だと思いますよ…(´Д`)

ほとんどが歴史を書き並べているだけですから!!(笑)