松原照子世見 2019年3月2日(土)

秀吉のお金の使い方  

現在も、大金を手にした人々のお金の使い方に驚かされたり、それだけのお金があれば子供食堂の子供達がニッコリするだろうと思ったりしますが、どうやら世の常なのだと思います。
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予知能力者だと詐欺でお金を稼いでいる松原照子は子供食堂をしてあげていますか?
他人の金儲けしたお金にはケチつけるのには呆れます…
まず、自分がしたらどうでしょうか…

秀吉は茶々が妊娠したのを知ると、茶々に淀城を改築して与えたのですから、まったく凄いお話です。
茶々は城主になり、「淀の方」「淀殿」と呼ばれるようになるのです。
後に「淀君」と言われるのですが、この名は江戸時代に入って付けられたみたいです。
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本日も始まりました…
ただの日本の歴史感想文…(´Д`)

そもそも「君」とは、実はあろうことか遊女の異称でしたから、辻に立つコールガールと同様に「淀君」と言ったのだそうです。
コールガールのことは「辻君」と言っていたのですから、淀君とは“豊臣家を滅亡させた悪女”と言いたかったのかもしれません。
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かもしれない~、わからないけど~

人は大金を手にすると、私では思いも付かないようなものが欲しくなるのでしょう。
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だいたい仕事を辞め旅行三昧の日々を送るようになる気がする~…

秀吉もその一人。秀吉の馬印は、瓢箪に金を塗った凄く派手な品です。
これほど見事な作はないと私でも思うのが、秋草文蒔絵硯箱。あるものならば手に入れられないものがなかった秀吉。
あの当時、日本に金山、銀山がありました。
確かに秀吉はお金の使い方は半端ではありませんでしたが、秀吉らしさも発揮しました。「金などいくら蓄えても使わなければ石瓦を蓄えるのと同じ」と言って戦功をたてた部下達に惜しみなくばらまいたそうです。
秀吉はお金の使い方を知っていたのでしょう。「中国大返し」をした本能寺の変の時は、姫路城の金子や米蔵を配ったと言われていますから。
お金は使い方ひとつで、好運も呼べますし、生き方も変えます。
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いつもの歴史を書き並べているだけ…

私などは、「宝くじが当たったら‥‥」と夢の世界だけですが。

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今日の内容も不思議な能力、予知能力など必要としない内容でした…(´Д`)