松原照子世見 2018年1月31日(木)
アイヌと松前藩
今月も終わっちゃいますね。
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世見はリアルタイムに書かれている気がする~…
10日前とか2週間前に書いているとか都合のいい嘘な気がする~
今日もお付き合いくださりましてありがとうございます。
「15世紀といえばどのくらい前なの?」
こんなことを思ってしまいます。
私は、○○世紀と言われても、今ひとつピンと来ないのです。
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ほとんどの方がそうでしょうね……
ネェネェ、蠣崎(かきざき)さんという名字の人はいますか?
今見えた「蠣」という字って、この原稿をパソコンに打ち込んでくれている人は困るかもしれません。
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出ました、見えたシリーズ(笑)
パソコンで打ち込んでいるだけな気がする~(笑)
いつも
「いま見えた文字が見えにくかった」
「最後が聞こえなかった」
などと曖昧に書くのに……
こんな細かい字が見えますか?(笑)
都合のいい事で(-。-;)
何だかこの名字に興味を覚えたのです。
エエッ! 姓を改めて松前というようになったのですって。
もしかして、松前藩になる前に蠣崎さんが姓を変えていなければ、“かきざき藩”だったのですか!?
「アイヌ人毒殺事件」‥‥と、タイトルを付けたくなる事件が起きました。
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浅いGoogle検索曖昧世見…
白々しさ爆発の松原照子…(^^;)
シャクシャンって誰なのですか?
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白々しさ連発…(笑)
シャクシャィンね…
いつも微妙に間違いを書いてくる松原照子…
いかにも「聞こえた事を書いた」風にする為にでしょう…(^^;)
彼は松前藩に憤り、アイヌの人々は各地で怒りを体で現しましたが、勝利したのは松前藩。
だぁってね。
松前藩は、アイヌのシャクシャン達に和睦を申し出て、話し合いの席でシャクシャンを殺害したのです。
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シャクシャンって誰なのですか?
と書いておいて…(^^;)
Google検索したまま書く松原照子…
この事件が起きた後のアイヌの人々は、辛く悲しい物語の日々を送ることになりました。
賠償品を取ったり、服従を迫ったり、苛酷を極めた日ばかりをアイヌの人々は体験することになりました。
「シャクシャン」「オニビシ」「シャクチャン」、アイヌ人の名前です。
どことなくインディアンを想像してしまう名前です。
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なんで、インディアンを連想?(笑)
お友達のミサさんがよくblogネタで
「アイヌとインディアンの繋がり」
を書いているので、合わせてきましたね(笑)
blogで取り上げてもらい人気の無くなってきた松原照子世見を宣伝してもらう為にね…
徳川家康からアイヌとの交易独占の認可を与えられた松前藩の蠣崎慶広は、武田信広の子孫だったとか。私って変なのかもしれません。
和人とアイヌの争いなら和人贔屓でいいはずなのに、自然界と仲良く暮らしていたアイヌの人々に私は心を奪われます。
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お友達blogに寄せてきた松原照子Google検索世見…
ネット検索すれば出てくる事しか
世見には書く事が出来ません。