松原照子世見 2018年1月13日(日)

戦国時代  
私達はどれだけの真実を知っているのだろうか。
「自分は生きている」 このことは現実でありまぎれもない真実です。
現在のように映像を撮ることが出来なかった時代には、見て来たような嘘がまかり通ったことでしょう。
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嘘はダメですよ、嘘は。
ありもしない能力をアピールして金儲けなんて………

ダメ、絶対に。

現代人が戦国時代に旅に出られたとしたら、きっと不便ばかりが目に付き、戦を観戦した時には固唾をのみ、目を見開くことでしょう。
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出ましたよ…

してもしょうがない話しをする

タラレバ娘松原照子…(´Д`)

甲冑を目にすることがあまりない私達ですが、戦場で甲冑を見ると、その勇姿に心が躍るかもしれません。
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かもしれない~
タラレバ娘松原照子…

甲冑の名称をご存知ですか。
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そして、始まりました…
知ったかぶりGoogle検索世見…(^。^;)

兜は頭を守り、そのデザインで誰だかわかったはずです。
兜の下には垂が下がっています。
口元には咽喉輪、面頬、そして袖、籠手、胴、草摺を体に着け、膝下には脛当をします。
いったいどのくらいの重さがあったのでしょう。
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小学生の頃に先生に教えてもらった内容ですし…
Google検索すれば簡単に出てくる情報ばかり…

朱色の甲冑を着けて戦った武者は、勇気ある武者を世に知らしめたかったのかもしれません。戦場では朱色は目立ちます。
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かもしれない~、

井伊直政は、まさに朱色尽くめの甲冑を身に着けていました。
「具足の重さが30kgもあった」と、誰かの声がしました。
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出ましたよ~

聞こえたシリーズ(笑)

浅い内容(笑)

戦国時代の武士達は、しのぎを削って戦うのですから、凄さが戦場を取り囲んでいたことでしょう。
戦国の世において、朝鮮出兵は秀吉の権力の在り様がわかります。
総勢16万人もの大軍を釜山に上陸させたのですから驚きです。
16万人分の食糧をどのように調達したのでしょう。
だが、この戦では後退。その後、再び14万人もの兵を送り込むも、秀吉は亡くなってしまいます。
そして朝鮮から撤退。秀吉が後5年生きていたら、歴史はどのようになっていたことでしょう。
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ただただ、歴史を書き並べて…

もしもシリーズ…

タラレバ娘松原照子…(´Д`)


たら‐れば

[連語]《「もし…していたら(したら)、もし…していれば(すれば)」の意》事実とは無関係な仮定。また、事実とは異なることを仮定してする後悔。してもしかたがない話という意味で使われることが多い。