松原照子世見 2018年12月11日(火)
井伊直弼の性格
彦根藩主の井伊直弼。彼がもし将軍代行を行う職に就かなければ、幕末維新はどのような物語になっていたのでしょうか。
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相変わらずの
「タラレバ娘」松原照子…(^-^;
大老職は心地良い職であったのかもしれませんが、多くの諸課題に忙しい大老職だったかもしれません。
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かもしれない~、違うかもしれない~、わからない~
いつも、歴史を知れば知るほどに、歴史が動く時、歴史を動かす人は一人にあらずと思ってしまいます。
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そりゃ、そうでしょ…(^◇^;)
十三代将軍家定が後5年生きていたら、家茂が13歳で将軍にならず、実権を井伊直弼が握らなかったかもしれません。
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まだ続く
「タラレバ娘」松原照子の妄想…(^◇^;)
又その時、孝明天皇が外国嫌いでなかったら、水戸藩の徳川斉昭とは意志を通じ併せなかったかもしれません。
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かもしれない~、違うかもしれない~、
まだまだ続く
タラレバ…(^◇^;)
井伊直弼が面目をつぶされた形になったのは、孝明天皇が幕府のトップの自分ではなく直接斉昭に勅書を下賜したことでした。
このことで斉昭は永蟄居を命じられてしまったのです。
直弼は孝明天皇がどうも苦手らしく、もしかすると大嫌いだったのか、幕府は天皇より上と思っていたのか、孝明天皇の反対を無視してハリスの求め通りに日本を左右する通商条約を締結してしまったのです。
直弼が人の心ありきをわかっていたならば、直弼はあの襲撃には遭わなかったことでしょう。
斉昭憎しの思いは永蟄居だけに止まらず、実子の慶喜は隠居、家老に至っては切腹です。
安政の大獄は直弼が権力を弄び過ぎた気がしますが、もしかすると歴史が動く時というのは、人選にも地球の意志が働くのかもしれません。
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かもしれない~、違うかもしれない~、わからない~
なぜ、地球の意志…?
どこが地球の意志…?
桃の節句のこの日は大雪でした。
午前九時、江戸城に出勤する直弼に対して、水戸浪士の復讐劇が開演されたのです。
この日から、幕府崩壊のシナリオがスタートすることになります。
性格というのは歴史も変えるのですね。
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ただただ、歴史を書き並べての浅い感想文…(^。^;)
そして、タラレバ…