松原照子世見 2018年10月8日(月)

歴史上の出来事と両親  

明治35年生まれだった育ての父。
明治35年と言ったら1902年です。
生きていたら、今年の11月で116歳です。
育ての母は明治44年生まれだから、生きていたら今年の11月で107歳になっていました。
父が生まれた前の年の1901年には、シベリア鉄道もほぼ開通。
父が生まれた1902年は、山形有朋、桂太郎、小村寿太郎が主張した日英同盟が締結された年でした。
母が生まれた1911年は、改正日米通商航海条約を締結し、関税自主権の回復を実現した年でした。
中国では、辛亥革命が起きた年でもありました。
こうしてみると、100年という月日の何とも短なこと。
父が2歳の12月、三越呉服店が株式会社になり、日本初の百貨店が誕生しました。
当時は靴を脱いで入店したようです。
私が生まれた1946年の元旦、昭和天皇は自らの神格を否定されて、人間宣言をされました。
A級戦犯として起訴された28名がいました。裁判結果は、東条英機ら7名が絞死刑、18名が終身又は有期禁固になり、2名は病死、1名は発狂、その他のB級C級戦犯になった約5700名、その内の984名が死刑となったのです。
元首相近江文麿は、自ら命を絶ちました。
11月には吉田茂内閣が発足。
国民の生活は窮乏し、物資不足、食糧不足が続き、満足な配給は得られませんでした。そのために、栄養失調や病気で亡くなる人も続出したのです。
又、終戦の混乱から、中国に孤児として残された中国残留孤児も生まれたのです。
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今日もGoogle検索しての歴史の書き並べ…(笑)


こうして見ると、裕福そうに見えた母に、私の生みの親が「この子を助けてください」と預けたのがわかります。
母が35歳の出来事です。
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え!?

え!?

両親が死ぬまで本当の両親ではない事を知らなかったと言っていた松原照子ですが…

なぜに今更、急に産みの親が預けた事情を知っている設定になっているの!?(笑)

また設定が増えた松原照子さんでした。