松原照子世見 2018年10月7日(日)

石の塔婆(板碑)  

供養というのは、生きている者が主役です。
どのような思いで故人を偲ぶのかも自由です。
あの世に出かけてしまった人々にとって、この世で生きている人からの偲ぶ思いは確かに魂磨きには役立ちますが、この行為は永遠ではありません。
とは言っても、故人を偲びたくなるのも人情です。
現代の日本のように、跡継ぎの人の数も少なくなると、先祖代々のお墓を守れなくなるのも頷けます。
しかし、手を合わせてくれる人がこの世にいなくなったからといって、あの世で暮らす人々が悲しんでいるとは思えないのです。
『あの世にいる大切な人とつながって幸せになる方法』(宝島社)でも書かせていただいていますので、供養について気になっておられる方は是非お読みください。
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供養についても曖昧でネットに書いている情報を書き並べるだけなのに出版ですからね(笑)

私は板碑を見る度に、胸の内に熱いものを感じていました。
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別に不思議な能力ではないですからね…

昔の人も、死者やご先祖様に会えたことや、こうして生きられているのはご先祖様があってのことと思い、石の塔婆(板碑)を建てたのでしょう。
我身がこの世を去った後、自分がしたように塔婆を建ててくれると思ったことでしょう。
でも、この塔婆も戦国時代には消滅したのです。
板碑とは、鎌倉前期に出現した、死者を供養する石の塔婆のことです。
埼玉県は、この石の塔婆が多く残されている地域でもありますが、こうした供養の仕方も、時代と共に変化するのがわかります。
今の世は、死についての見方も随分と変わった気がします。
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気がする~、感じる~、わからないけど~

でも、身近な大切な方との永遠の別れを体験して、「死」とは逢えぬことだとわかり、辛くなる人もおられることでしょう。
そんな時は、場所を選ぶことなく、会えたことを感謝してください。
このことが最高の供養ですから!
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で?
それだけ??(笑)