世見 2018年9月1日(土)


あれから95年  
大正12年9月1日は、今日と同じ土曜日でした。
夜明け前からの豪雨は、南風がプラスされて台風のような天気だったといいます。
その豪雨も午前10時頃には止みました。
夏を名残惜しむかのような蒸し暑い一日が始まりました。昼食を摂ろうかという午前11時58分44秒、初めの揺れはゆっくりだったといいます。
約15秒揺れが続いたかと思ったら、大激震が東京中を襲いました。
この大激震は約2分でおさまったものの、東京では80ヶ所以上から火の手が上がりました。
その火の手の半分近くが燃え広がったのです。
この火は消えることなく、3日間燃え続けたと伝えられています。
この大地震から、今日で95年目を迎えます。
関東大震災が起きる前は、随所で江戸の風情が残っていました。
河川・掘割は物を運ぶ船達が行き来をして、イタリアのベニスのようだったとも言われていましたが、この河川や掘割は埋められて高速道路が作られたとも聞いたことがあります。
帝都東京の面影は消え、超高層ビルが山並みをつくり、家々やビル群からはクーラー稼働により熱風が放出され、温度上昇を手助けしています。
温暖化と言われるようになり、気温の上昇に脅威を感じる今年の夏でしたが、この温暖化を更新させているのが現代人なのです。
この当時の呼び名は、主都東京ではありませんでした。
「東京府」といっていたのです。
この東京府の人口は405万人。旧東京市で227万人でした。
今は凄い人達が暮らし、又、通勤もしています。
大激震は、いつやって来るかわかりません。
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定期的に書いている関東大震災の被害状況と日時‥‥

そして、自称予知能力者を名乗るのに
「いつやってくるか、わからない~」
「心配~」
書いておけば起きた時に世見に書いていた~と言えるから書いておく~
作戦ですね‥‥