世見 2018年7月31日(火)

後漢王朝時代  

三国志の英雄や豪傑達に心を奪われた人も多くおられることでしょう。

後漢王朝の乱世に、人々は何を思い生きていたのでしょう。

この時代の和帝から始まり、黄巾賊によっての大暴動。70~80年、大小様々な農民暴動が100回以上も起きた後漢時代の民達にとって、“乱”は希望に繋がる道に思えたのでしょう。

民達は少々の不平不満があったとしても、平穏な日々だけを願ったことでしょう。

頭に黄色のバンダナを巻いても、幸せは遠かったようにも思います。

後漢時代の皇帝は幼過ぎました。それも次々と幼い皇帝誕生だったので、それが混乱と腐敗をつくっていったのです。

民衆の心は宗教へと向かいます。

宗教の教祖は黄巾賊を結成して、後漢王朝の打倒を掲げたのです。

後漢政府は義勇軍を募集します。

この義勇軍募集は中国の歴史を大きく変えて行き、やがて三国の創業者が登場することになるのです。

ここで気になる人が一人おります。

憐れと申しますか、一番信じていた人に殺害されてしまう何進という人です。

宦官の皆殺しを企てて家臣を動かした遠紹。この人物こそが策士であったことは間違いがありません。

時代は変わっても、皆殺しには理由が必要だったのでしょう。

何進の同志の遠紹は、宦官達に殺害された何進の仇打ちとばかりに、宦官の皆殺しをしたのです。

その後の遠紹の活躍はご存知の方も多いことでしょうが、この時代、“親友とは” という課題を私達に残したようにも思います。

洛陽は、今もあの当時の気が残っているように思うのですが。

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韓国の歴史ドラマが大好きな松原照子の歴史感想文でした・・