世見 2018年5月16日(水)


武田信玄  

戦国時代、敵と味方の区別を図るために、背中に旗をかかげ、又旗を片手に戦う勇者達を映画やテレビドラマで見る度に、今の世も当時のような戦なら女性や子供に被害は及ばなかったのにと思います。
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思う~、気がする~、わからないけど~

勿論、戦争はないのが一番です。

でも、人間の性なのか戦争が地球から消える日は中々やっては来ません。

「戦国時代」といえば、陰惨な殺し合いの時代といえるとは思いますが、あの戦国時代を駆け抜けていった武者達から、私達が学べることもあると思います。
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思う~、気がする~、わからないけど~

私は、戦国時代の中では武田信玄が心の中にス~と入って来る人です。

武田信玄は、五月、ツツジの花が咲き乱れる一帯を目にして、何を思いツツジの花を愛でていたのでしょう。

信玄が生涯の居城にしたのは、このツツジが理由だったのかもしれません。
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かもしれない~、気がする~、わからないけど~

現在は、信玄が愛したであろうツツジがどれだけ残っているのかはわかりません。

信玄は三十数回もの合戦を体験しています。それと、それほど大きいとは思えないこの居城に、5人の本妻と側室と暮らしたというのですから、愛憎物語がきっとあったと思わすにはおりません。
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思う~、気がする~、わからないけど~、かもしれない~

あなた様も信玄が愛でたツツジを目にしたいと思われるのでしたら、甲府市の武田神社に行かれたらいかがでしょう。今なら見ることが出来ることでしょう。


信玄という人は食通であったらしく、串に“刺し餅(御幣餅)”を兵士に持たせ行軍しながら食べさせたり、即席で食べさせる“ほうとう”や“すいとん”も陣中で考え付いたといわれていますし、切干・乾燥野菜・粉食もありました。

戦と食糧とは切っても切れぬセットです。

一ヵ月以上の遠征となると食糧は勝利に繋がります。

そこで信玄は、この食料を運ぶ奉行には、武勇がある者を選んだといわれています。

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教科書レベルの話しを書いただけ・・┐('~`;)┌