世見 208年4月8日(日)

明治時代のひげ  

殿方が「ひげ」を生やしたくなる気持ちは女性の私にはわかりませんが、女性は化粧という美に繋がる行為のために鏡を見ることが多く、男性もひげを剃るにしても、生やすにしても鏡を見るチャンスが訪れます。

きっと、神様は我々に鏡なる品を与えて、ご自分の顔色から健康チェックをしなさいと言っていると私は思っています。
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思う~、気がする~、感じる~、わからないけど~、書いて損はないから書いておく~、

現在も様々なひげを生やした方がおられますが、明治時代、ひげは地位の象徴だったのです。

最初は官使、やがて教員や学者、軍人へと広がったのです。

明治維新をお好きな方ならおわかりかもしれませんが、明治維新は30代40代が支えていました。役人として貫録を見せるためにひげを生やしたのです。

そういえば、八の字のひげの写真をよく目にします。

あのひげを保つのには苦労されたのでしょうね。

できるだけ太くが流行だったとか。

日露戦争後、八字ひげから鼻下に伸ばしたひげの先を細くしてピンと跳ね上げたスタイルが大流行し、その名を「カイゼルひげ」と言いました。

カイゼルとはドイツ皇帝の称号です。

あの当時、日本陸軍にとって、軍備拡大を着々と進めるドイツは憧れの的だったのです。

皇帝のヴィルヘルム二世を真似たひげがカイゼルひげだったのです。

明治末期には、その日稼ぎの労働者までひげを生やし、紳士の条件のひとつであるひげがポピュラーになっていったのです。

口ひげを「髭」と書き、あごひげを「鬚」と書き、ほおひげを「髯」と書き分けるようになったのです。

字も、時代時代で増えるものなのですね。

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以上、Google検索知ったかぶり世見でした~