【松原照子】世見 2017年11月22日(水)

吉宗と家重  

松平乗邑という人物をご存知の方がどれだけおられるのかわかりませんし、私自身、この名を書いたからといってわかっている方でもありません。

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私はわかりません。知りません。
でも、書いています。
凄いでしょ?



名君と言われた8代将軍吉宗。

母が大好きだった暴れん坊将軍のテレビドラマ。
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昔に本当の両親を知らない設定にしています。

私も母と仲良く一緒に見たのが懐かしい。

あの吉宗にとって、次期将軍への想いがどうであったかはわからないものの、父の名君吉宗は“迷君”を世継ぎにしたとも言われる9代将軍家重。

家重という将軍様は、心優しい将軍様だったようです。

家重は軟禁状態を体験したことがあるようですが、長幼の序で将軍についても恨みはしないものの、弟の宗武を登城禁止にした時だけは腹が据わっていたようです。

吉宗の質実剛健なる精神は、家重に引き継がれていたのです。

松平乗邑が弟の宗武を次期将軍にしたいと画策していたのを知っていた家重でしたが、乗邑を失脚させる動機を、享保の改革での責任者とし、農民達の怒りの矛先を乗邑に向けることで、家重は財政改革で百姓一揆まで発展した事態を治めた、と私は教えられた。

松平乗邑は罷免されてからの半年、刺客に狙われていると怯えて暮らし、胃を病んで急死したとのことも教わった。

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アメリカ人や中国人の不思議な世界の方がGoogle検索すれば出てくる日本の歴史を教えてくれたのですか・・(((^^;)

松原照子氏が世界を救う為に出てきている人達が・・?

日本の歴史を教えて・・

世界を救えるのに役に立ちますか・・?

あ、この浅いネタを書いて読者からお金を取っている訳ですから・・

あ、
そのお金で東日本大震災で被災した方々の雇用を作る為に北海道に食の王国を作るのですね!

あ、その事業はお金だけ集めて早々に止めていましたね・・



いつの世も、物語を作るのは人の心であるのがわかります。

家重に将軍職が務まったのは、大岡忠光がいたからかもしれません。

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タラレバ娘 松原照子氏・・

以上、Google世見でした・・