2817年10月25日(水)

日本を愛した男たちの動乱  

世の中のことを不思議な世界の方々に教えていただいたり、見えたり、聞こえたり、感じたりしたことや、いろんな世界を知りたいこんな思いから「世見(よけん)」と名付けて毎日皆様にお読みいただいています。理由はわかりませんが、書きたくなって仕方がないのもこの「世見」です。

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不思議な世界の方=Google検索情報

のような気がする~

知識もGoogle検索レベルですからねぇ…

もしかすると、書き溜めすることに意味があるのかもしれない。

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意味はひとつ。

下手な鉄砲でも数撃てばいつかは当たる方式でからね…

どれか当たった時に自画自賛アピール宣伝をする為に…気がする~

後2ヶ月もすると、街々にはクリスマスソングが流れていることでしょう。

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予言?笑


「東海道五十三次の終着点って三条大橋だったかなぁ~」と、突然こんなことを思ってしまいました。
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~思った、感じた、気がする~

有名な話しです…笑

Wikipediaですぐに調べれるレベル…

木屋町筋に先斗町の前には鴨川が流れている。
川の向こうには八坂神社、その先に知恩院‥‥。
何故こんなにスラスラと書けるのかと言いますと、昔の地図らしきものが目の前に見えているから!

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見えた、聞こえた、感じた、

パソコンの画面を見ている気がする~

感じる~、

この鴨川は、幾つもの歴史物語を見て来たのでしょうね。あら、三条大橋のすぐ傍に池田屋があったみたいです。木屋町筋の路地が入り組んでいること。
祇園祭の宵々山の夜、歴史が動いた。
男達はためらうどころか、使命感が湧きあがるのを感じたという。浪士も新撰組も、日本と言う国の未来に夢をかけていました。
「幕末動乱と池田屋事件」
志は違っても、男達は日本を愛していた‥‥そんな時代でした。
近藤勇は4人を従えて、少なくとも10人はいるであろう浪士達に立ち向かったのです。
目指すは表階段を上がった右の部屋。
この死闘の最中、沖田は今でいう“熱中症”で昏倒するのでした。
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以上、日本の歴史の浅い情報を書き並べただけのWikipedia世見でした