【松原照子】世見 2017年3月9日(木)



歴史物語「近藤勇」  



激動の時代に生きた男達と、現代の男達とでは、心意気がどのように違うのでしょうか。


「勤王か佐幕か」、日本中を巻き込んだ世変わり。もしもあの時代に生まれていたら、男性諸君は「生きる」ということをどう受け止めたのでしょうか。


女性はなす術もなく、世変わりを見るだけだったのでしょうか。


忙殺された日々を送る人も、悩みの処理に行き詰まった人も、今日はご一緒に日本の歴史に一時を過ごしましょうよ。


フッと思うのです。


孝明天皇が崩御されず、信頼していた慶喜ともっと語りの場を持てていたら、どのような終盤を迎えたのだろうかと。


歴史物語を振り返りますと、たったひとつ物語が変更されただけでも、随分と違う物語が出来上がります。


江戸無血開城後、宇都宮城の戦いを初めとする戦が起きていきました。


新撰組局長の近藤勇をクローズアップして見ると、伊東甲子太郎を暗殺しなければ、狙撃されて右肩に重傷を負うことなく、鳥羽伏見の戦いも現実知る戦とは異なっていたかもしれない。又、天然理心流の宗家を継ぐ腕前の勇も、傷を負わなければ、途中で大半の歩兵も脱走をせずに勇の勇姿に従い、流れが幾分変わっていたかもしれません。それと、伊東甲子太郎の死してからの念は強く、伊東甲子太郎の同志によって首実験の末に捕まり、板橋宿の馬捨て場において多くの人々の目の前で斬首。その後、その首は焼酎漬けにされて京都の三条河原に晒されました。



今お伝えすることは、歴史に詳しい人もそうでない人もご存知の物語ですが、因果応報では答を得られない近藤勇の物語に思えるのです。

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はい、いつもの日本の歴史をGoogle検索して書いただけです・・



日々何気なく暮らす私達ですが、ほんの少しの思いやりが後の人生に幸福をもたらすかもしれません。


一人の人の、今の世の役どころは死んでもわからないかもしれませんが、今日を精いっぱい生きることが大事なことと思えるのです。


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え??

これだけ・・??

これでお金を盗る・・
取るのですね・・・・┐('~`;)┌