【松原照子】世見 2016年12月8日(木)


「当たり前」という思い 



前世のことを尋ねられると「わからない」とつい言ってしまいますが、前世などないと言えないのも事実です。

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松原照子さんに質問する事が間違っています・・
何も能力なんてない
普通のお婆さんですから・・。

昨日の世見では
「ワインが好きな方はメソポタミアの頃の味を懐かしいと思って・・」


的な、いかにも前世の記憶を思い出している感じに書いていましたよね??


 私達が知り得ていることなどはほんの一部分でしかなく、人間そのものの魂と申しますか、深い世界の部分を知ることが出来ていないとも思います。

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~思います。

そうですけど・・?

 死は必ずやって来る生きるものの掟。


 全ての生物の寿命がそれぞれの種類で同じであるとしたら、生き方も変わると思えて来ます


 私達人間も同様で、死を迎える時刻が生まれた日から数えて何年何月の何時何分何秒とわかっていたら、人々は現在のような生き方はしないかもしれません。


 たとえば、戦争で殺し合いをしても決められた時が来ないと死を迎えないのなら、殺し合う必要もなくなり、地上から兵器はいらなくなります。


 薬も延命のためではなく、限られた時間を有意義に過ごすためのものになるかもしれません


 勿論、自殺は存在しません。


 もしかすると、我々が持つ欲にも変化が起きるかもしれないのです。


 現代社会は心の内で思考することこそ自由であり平等です。


 太陽の恵みも、空気も、平等に与えられています。


 現代人は「ありがたい」ということを忘れ過ぎています。


 確かに、人生はハッピーなことばかりではありません。


 できたてのご自分の便の香りをどのように思いますか。まだ体温の温もりを残すご自分の便。便器に我身の体の中に今までいた便の存在。こんなことを書く私をおかしいと思うかもしれませんが、多くの人はこんな自分の行為すら当たり前であり、気にもとめません。


 ほんの少し当たり前なる思いを消すと、ご自分が生きていることを実感でき元気が出ます。
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お婆さんの日記でした。

なぜ、お婆さんの日記にお金を取るのでしょう?

読んでもらえて返事がもらえるだけでも幸せな事だと思うのですが・・?

明日は・・アメリカ大統領ネタでしょ?(笑)