【松原照子】世見 2016年12月5日(月)


秀吉の大阪城 



大阪城に行かれたことはありますか。


 「豊臣秀吉」がこの大阪城の主です。


 約15年の歳月をかけて完成した大阪城。


 「露と落ち 露と消えにし 我身かな 浪速のことも 夢のまた夢」


 辞世の句と言われるこの句。


 この齢になると、私でもこの句がよくわかります。


 心を許していた千利休。


 一時は可愛いと思っていた甥の秀次。


 この両名を処刑した秀吉が、この大阪城で何を想い、暮らし、62才で死去したのだろうか。


 「大阪冬の陣」今でも大阪城を訪れ、目を閉じると緊迫した空気が流れます。


 「今の大阪城の濠は本来秀吉が築きしものとは違う」と話してくれるのは、中国四千年のおじちゃま。


 今でも大阪城の濠には魅力ある品物が残っているとも話されます。


 隅櫓が当時あった場所近くは、実に神秘なる場所だとも話されます。


 11月26日に発売した『あの世から神様を引き寄せるパワースポット』を書き上げてから、日本中にある神秘な場所に興味が湧きます。

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神様の扱いを根本的に間違っていると思います。

 「城」と云うのは特に生命を感じずにはおれません。


 二度の朝鮮出兵は失敗に終わった秀吉。


 秀吉の全てが詰まったと思われる大阪城。


 この大阪城から兵庫県の有馬の湯に出掛けた秀吉。今なら日帰りで湯に浸かれる距離ですが、あの当時どれだけの時を費やしたのでしょう。


 大阪城の濠は、現在も多くの品々を残している気がします。


 隅櫓の存在はわかりませんが、この付近に抜け穴、或いは抜け道があったとしたらどうだろうか。濠には水が張られていたはず。


 どのようなものがあったのか、凄く興味が湧くのは私だけでしょうか。

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百科事典&Google世見でした。