【松原照子 】世見 2016年11月21日(月)


大奥の女性たちは 



「大奥」、覗いて見たくなりませんか。


 千人もいたといわれる女子寮が大奥です。


 将軍様以外男子禁制。


 でも、男性もいたのですよ。広敷番や伊賀者が詰めていた場所がありました。


 世間から隔離された大奥。奥女中と云われた独身の千人もの女性の生涯とはどのようだったのでしょうネ。


 御手付き御中﨟ともなると親の死に目にも会えず、宿下がりは中々許してもらえなかったといいます。


 十一代将軍の家斉は大奥大好きな将軍様だったみたいで、愛妾・側室が4~50人もいたというのですから、凄い!


 アレ、凄いという字の凄いに妻が入っています。


 やっぱり妻は凄いのかもしれません。


 横道にそれましたが大奥です。


 家斉って53人もの子女がいたのですって。これだけお子様がおられると名前って覚えられたのかしら。


 将軍様は毎朝10時に大奥へ出勤して、正室とお目見え(上﨟・御年寄・中年寄・御中﨟)からの挨拶を受ける習わしだったとか。


 将軍様も、大奥で妻や妾と寝所を共に出来る日は、意外と少なかったかもしれません。


 歴代の将軍様の命日は御精日と言って、奥泊まりは休みの日で、家斉は十一代将軍ですから月の十日は奥泊まりが駄目なはず。それと他にも行事があったので、奥泊まりは限られていたと思われるのです。


 将軍様の夜の世界は、正室も妾も女性にとって心が痛む世界に私などは思いますが、あなたはどのように思われますか。

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松原照子さんの好きなテレビでしている歴史の話しですね

ご存知の通り、
テレビやネットを見れば、わかる情報ばかり・・(((^^;)