【松原照子】世見 2016年9月13日(火)


川島芳子 
川島芳子。この名前を聞いて直ぐにどのような人か思い出せる人がどれだけおられるでしょうか。
私でも母から教えられていないとわかりません。
母が私に話してくれたのは「男装の麗人で母の憧れの人だった」ということです。母の心を虜にした女性だったのです。
何故、今日はこのことを思い出すのかわかりませんが、「愛新覚羅」、この名前もすぐに思い出せます。
私は宝塚新劇が大好きです。
娘の頃は宝塚に足を運び「友の会」にも入っていました。
もしかすると母が話してくれる川島芳子さんの姿を宝塚で感じたかったのかもしれません。
現在女性の髪に対する思いとは随分と違ったであろう時代に断髪したのですから、芳子さんの想いは如何ばかりかと思います。
母がこのように言っていました。
「断髪する前の日、日本髪を結って記念写真を撮影していた凄い人」
母は勝気で明治44年生まれながらも自分だけの自転車を乗りまわし、福岡県の中津では有名人だったそうです。
だからなのかもしれませんが、男社会への反発もあり芳子さんファンになったのでしょう。
芳子さんは清朝の王女でした。
満洲国物語の中のトップ物語はやはりこの人。
でも彼女も女性でした。
恋するあまりの多くの事件に参加
恋は成就することなく、敗戦後中国政府に逮捕され銃殺に処せられました。
41才の生涯でした。
私が生まれる2年前です。彼女は自分の人生をどのように想い、あの世へと向かったのでしょう。彼女が17才で断髪したのが10月6日でした。

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本日も浅い知識を書いただけの世見でした・・

ウィキぺディア
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川島 芳子は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。 本名は愛新覺羅顯㺭、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名乗っていた時期もある。 8歳のとき、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。