【松原照子】世見 2016年6月26日(土)


三浦半島

6月6日にこの世見は3,000回を迎えましたが、いったい何を書いていたのでしょう。

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何を書いてきたのか?

はい、私の「3000回記念分析」←クリック
をお読みになってください(笑)

(世見続き)
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いつから毎日こうして書くようになったのかは思い出せませんが、2011年の7月、25年間お世話になった会社を辞めてからのように思います。

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震災を利用したお金儲けを始めました。
その頃から世見は原稿用紙2枚になったとも思います。
DVDの収録の時には、私の書いた世見のFAXでの原稿の量を保管して下さる方が持ち寄って下さり、他人事のように「よくこれだけ書けたこと」と思ったりもしました。
いつものことながらこうして書き始めますと、なぁんとなく今から書くことのラインと申しますか気になることなのかもわからないのですが、次に何を書くのだろうと思えて来ます。
「三浦半島」こんなことを自分で書いて、なんだこれ(?)という気分になりました。

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なんだ、この人・・

私は地図を触っていますと、未だにその地に生きた人々のパワーを感じます。

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いつも自称です。
ホラッチョ照子さんです。

勿論、あの世とやらに出発された方々のエネルギーが未だに残るのも感じます。
三浦半島と自分で書いておきながら、愛用の地図をとってきて開くと、鎌倉が近いのがわかりました。

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小学生でも鎌倉が近いのくらい、わかると思います・・

いつの日か日本のパワースポットについて書きたくなっているせいなのか、いきなり三浦半島が私の頭の中を直撃。

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ネットから盗用して書くだけでしょう・・

そして、ペンを持ったら勝手に書いていくという割りには、いつも自分でテーマを決めています・・

三浦半島という呼び名は三浦一族から来ているのかもしれません。

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ネットを開けば書いています。
白々しいですね・・

ただネ。三浦一族がどのような一族なのかわかりませんが、今一枚の写真のような映像が見えています。真中は左右より大きく石を重ねた塔のような墓標のような‥‥。

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はい、ネットに載ってる写真を見て、白々しく書いているのでしょう・・

どのようなドラマがここにあったのかはわかりませんが、今は揺れやすいこの地を穏やかにする役目を持った大昔の人の気を感じます。
「雲のような寺」ってありますか?

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はい、出ましたよ

揺れやすい←よく揺れる場所ですし。

数撃てば当たる方式ですね・・

そして、
「雲のような寺ってありますか」

ヒントだけだしての

皆さんへの宿題・・(呆)


まぁ、本日も教科書にも載ってそうなレベルの低い世見でしたね・・