今まで松原照子さんは原稿用紙を前に座り鉛筆を持ち座ると、鉛筆が勝手にスラスラと書き出します。と、いかにも自動書記で有名な岡本天明さんのような現象が起こっているように書いたり・・
原稿用紙を前に座ると声が聞こえ、聞こえた通りに書いている。とおっしゃったり・・
不思議な世界の方が現れ、色々と質問しながら原稿用紙に書いているとおっしゃったり・・
私は書く事を何も考えてないし、書いたら覚えていないと散々、書かれてきました。
しかし、熊本地震後は、
「5月からは震災の事を書いていく」
と書く内容を決められ自分の意思で書かれていまるようです・・・・
書く内容は自分で決めれるのですね・・(謎)
まあ、書いた後で誰の指示かわからないと、書かれていますが・・
聞こえた訳でもなく、不思議な世界の方が現れた訳でもなく、勝手にスラスラ書いた訳でもなく・・
5月からのブログは・・?です・・
今日の世見は
(神戸から~新潟まで薄いピンクに見える)
と・・初めての表現ですね?
東日本大震災の時に書かれた
(地名が赤く見える)ではないのですね
これは赤よりは薄いからすぐには来ないけどいつか来ますよ的な書き方でしょうか・・(汗)
そして、(慶長と書きたくなった)
でましたね、いつもの単語の並べ立て・・
テレビでも有名ブロガーさんらも書かれていましたが・・
慶長地震と似てると・・パクり・・?
慶長年間の主な地震
慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いで発生したと推定される地震。
慶長豊後地震(大分地震) - 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者700人以上。中央構造線と連続している可能性もある、別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。
慶長伏見地震 - 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。
慶長地震 - 1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9~8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4~8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1~2万人を数えた。
会津地震(慶長会津地震) - 1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者約3,700人。
慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)[10][11] - 1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1(8.1-8.7の諸説あり)。ただし、津波の痕跡の範囲などからこの従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹(北海道太平洋)沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。地震被害の記録はほとんど無い。
慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。
以上、慶長地震は全国で地震が起きている時代です。
(慶長)と書いておけば、どこで地震が起きても
「松原照子は世見してた!」と当てはめれる事になります・・・・
ちなみに・・
「今日の世見も自分が書いているか、どなかの指示かわからず書いています。」
だそうです・・(汗)
いったい、誰なんでしょう・・
松原照子さんはいづこへ・・・・?(笑)
原稿用紙を前に座ると声が聞こえ、聞こえた通りに書いている。とおっしゃったり・・
不思議な世界の方が現れ、色々と質問しながら原稿用紙に書いているとおっしゃったり・・
私は書く事を何も考えてないし、書いたら覚えていないと散々、書かれてきました。
しかし、熊本地震後は、
「5月からは震災の事を書いていく」
と書く内容を決められ自分の意思で書かれていまるようです・・・・
書く内容は自分で決めれるのですね・・(謎)
まあ、書いた後で誰の指示かわからないと、書かれていますが・・
聞こえた訳でもなく、不思議な世界の方が現れた訳でもなく、勝手にスラスラ書いた訳でもなく・・
5月からのブログは・・?です・・
今日の世見は
(神戸から~新潟まで薄いピンクに見える)
と・・初めての表現ですね?
東日本大震災の時に書かれた
(地名が赤く見える)ではないのですね
これは赤よりは薄いからすぐには来ないけどいつか来ますよ的な書き方でしょうか・・(汗)
そして、(慶長と書きたくなった)
でましたね、いつもの単語の並べ立て・・
テレビでも有名ブロガーさんらも書かれていましたが・・
慶長地震と似てると・・パクり・・?
慶長年間の主な地震
慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いで発生したと推定される地震。
慶長豊後地震(大分地震) - 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者700人以上。中央構造線と連続している可能性もある、別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。
慶長伏見地震 - 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。
慶長地震 - 1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9~8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4~8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1~2万人を数えた。
会津地震(慶長会津地震) - 1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者約3,700人。
慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)[10][11] - 1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1(8.1-8.7の諸説あり)。ただし、津波の痕跡の範囲などからこの従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹(北海道太平洋)沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。地震被害の記録はほとんど無い。
慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。
以上、慶長地震は全国で地震が起きている時代です。
(慶長)と書いておけば、どこで地震が起きても
「松原照子は世見してた!」と当てはめれる事になります・・・・
ちなみに・・
「今日の世見も自分が書いているか、どなかの指示かわからず書いています。」
だそうです・・(汗)
いったい、誰なんでしょう・・
松原照子さんはいづこへ・・・・?(笑)