自分のルーツを知ること。 | ウルトラランナーへの道

ウルトラランナーへの道

2011年に立てたサブスリー、サブナイン、UTMF完走の目標は2012年サロマをもってすべて達成しました。陸上経験がなく40才から走り始めたランナーでも練習の仕方で速くなれることを実証しました。練習、栄養、ケア、グッズ、レース戦略について書いたブログです。

なんか凄く偉そうなタイトルでスミマセン。。以前電車内の本の広告にこんな一行があり少し心に引っ掛かってました。本は読んでないのでどんな内容かは分かりません。でも分かる気がします。もちろん私が分かる気がするってことは本の内容とはかけ離れたことかもしれません。

最近実家に頻繁に帰るようになったとblogに書いてます。大学に入るまで過ごした実家には、新入社員研修時に一ヶ月くらい過ごした以外は正月と夏しか帰省してません。2時間くらいで帰れる距離だからもっと帰ろうと考えた時はあるけど帰らなかった。正月と夏にしても滞在時間は24時間以内なんてこともシバシバ。。夕方に実家に到着して翌日昼には実家を出るってパターンも多かった。いつでも帰れる距離だからって気持ちもあったと思う。

そんな短い滞在時間だから両親や兄弟と話す時間も当然のこととして短い。私が大学に入ってから起こった家族の出来事なんて重大かつ突発的なこと以外なにも知らない。

その頃はそんなもんだと思っていたしそれでいいと思っていた。

でも最近実家に頻繁に帰るようになり、両親といろいろ話をすると気付きがたくさんある。また子供の私には正確に伝えなかった大人の事情もたくさん知った。

その中で私のルーツをいろいろ知り、驚くことも多々ある。別にテレビドラマになるようなことではないけど。。。

例えば母親のこと。

私が中学生の頃、父親がジョギングを始めた。40才を少し過ぎた頃ですから私と一緒です。父親が始めてから数年たって母親もジョギングを始めた。そのことは私も知っていたし、いろんなマラソン大会に参加していたことも知っていた。でもどんなタイムで走っていたのかなんてまるで関心がなかった。

少し聞いた記憶はあるのだけど母親がレース終盤頑張りすぎて倒れたって話を聞いたことがある。先日帰った時にそんな話になった。若い女性と張り合って無理してしまったようです。救急車で運ばれるほどではなかったとのことだけど意識を失ったと言うからかなり危険。。。その時、30代で亡くなったトヨタのトップセールスマンだった叔父(父の弟)が母親を呼んでいたらしい。ついていってはダメと思ったら意識を取り戻したらしい。

当時のアルバムを見せてもらった。
ランニング仲間といろんなレースに出た際の写真が貼られて、そしてレース名と距離、タイム、平均ペースが書かれていた。それを見て驚いた。結構アッダウンのある6キロレースを30分少々で走っているのです。だいたいキロ5分くらい。母親がそんな走れるランナーとは知らなかったので意外でした。

私の父親がマラソン速かったという話も聞いたことがなく、兄弟や親戚にも速い人はいない。私は子供の頃、そこそこ速かったけど、それは母親の遺伝なのかもしれないと思った。(今はたいして速くないけど小学生の頃は速かったのです。。。)

また私の祖父の話をした。祖父とは仲が悪く子供の頃から口ケンカばかりしていた。たぶん性格が似すぎていたのかもしれない。その祖父も私が成人する前に亡くなった。どんな生い立ちなのかは少しは知っていたけど詳しいことは知らなかった。父親はあまり祖父の話をしない。母親から聞いた話です。

幼い頃祖父が母親を怒鳴り付けて母親が悔しくて泣いていたこともあった。母親が頭を冷やすために私を連れて散歩に行ったこともあった。ただ母親から祖父の悪口は聞いていない。何で怒鳴り付けられたのかは分からないけど、私や兄弟はそんな祖父が嫌いだった。

母親からこんな昔話をされた。

私が小学校に入る前の頃、何かをして祖父に怒られて蔵に入れられそうになった。当時は古い蔵は暗くて怖い場所だった。

その時、蔵に入れられたくない幼い私は祖父に向かって『酒買ってやるから許して』と言って火に油を注いだらしい。祖父は酒がホント好きだった。それを聞いていた家族は固まったとのこと 笑 祖父は『お前に買える酒なんかあるか!』って言ったらしいが、私は『お年玉で買ってやる!』って言ったらしい。そのあと蔵に入れられた記憶もないので祖父が呆れたのかもしれない。。。

この件はまったく記憶にないのだけど。。。母の話を聞くとそんな場面があったような気がする??

しかしそんな話を聞くと恐るべき幼稚園児だったと思う 笑

また記憶を遡ると祖父とケンカばかりしていたわけではない。仲良くしていたこともある。

小学生低学年の時に祖父から将棋を教えてもらった。祖父は将棋が得意だったらしい。

でもそれから数週間、将棋の本を買って定石や戦術を覚えた私は祖父に勝ってしまった。それ以来祖父とは将棋をしなくなった。。。

そんな祖父の外見に私がどんどん似てくると母親に言われた。まあ似てるのかもしれない。

祖父は貧しい家に生まれたので小学校も満足に出ずに仕事をしたらしい。ただ頭は良くて小学校ではずっと一番だったらしい。商売の才覚があり田舎ではあるけどそこそこの成功をした。そのお陰で私も大学に行けたのだから感謝です。もちろん祖父の仕事を継いだ父にも感謝です。

祖父の弟は戦死した。靖国神社の写真が仏間に飾ってあったから幼い頃から戦死したのは知っていた。

ふと、母親に祖父は何で戦争に行かずに済んだのか聞いたら驚くべき事実が分かった。。。

徴兵のための検診で目と心臓に問題があって落ちたらしい。

母親も詳しい話は知らないし、母親も聞いた話なのでホントかどうかは分からない。と言うのもまだ母親が子供の頃の話だからです。

でもホントの話だと思う。

なぜならそれって私と同じなんです。。。

実は私も35才になった時に検診で心電図に異常が見つかった。胸部完全右脚ブロックという診断だったと思います。ようは不整脈です。ただ医師から恐らく先天的なものだから何も生活を変える必要もなく、治療も必要ないと言われた。その後マラソン始めても問題は生じていない。ただ心拍数が異常に高いのはこの影響かもしれない。医者からは病気ではなくてあなたの個性と思ってくださいと言われたのを今でも覚えている。

また6年前に検診で緑内障の疑いと言われ眼科で調べたら緑内障と診断された。これはショックだったけど早く見つかって良かったと思うようにした。ただそれまでも検診を受けているが初めて指摘されたのです。ただいつから緑内障にかかったのかは分からなかったので、もしかするとこれも先天的なものなのかもしれない。その後緑内障はまったく進行してないので日常生活にまったく支障はありません。

ただ眼に関してはドライアイなので定期的に見てもらう意味でこれからも通院します。

両方とも祖父からの遺伝なんでしょう。


しかし母親と話さなければこんな話は聞くことはなかった。

【自分のルーツを知ること。 】

ってこんなことなんだろうと思う。

すべて先天的な遺伝子により決まるわけではないけど、遺伝子により決まることは非常に多いと思う。もちろんその後の努力とか環境とかの後天的なことで人生なんていくらでも変わる。

でも私ってどんな人??

って問いに対して答えることに占める遺伝の要素は大きいのだから、そこを知った上で生きていくことってとても大事なことだと思う。

また私の父親は祖父とは性格はまるで違って温厚で真面目で実直な人です。子供の頃は派手な父親を持つ友人が羨ましかった。でも今は実直な父親のことを尊敬してます。父親と母親、さらに祖父と祖母、さらに曾祖父と曾祖母・・・の血を私はひいている。

もっと自分のルーツを知りたいと思います。

Android携帯からの投稿