アドラー心理学で自分を知り
新しい『わたし』を発見
活き活きママを応援します
Kumi♪です。
たくさんのブログの中から、
私のブログを読んでくださり、
本当にありがとうございます
前回のブログを書いている時に
祖母のことを思い出しました。
大好きだった祖母の
言葉が今でも忘れられません。
息子は人の100倍もの
アレルギー体質だと
お医者様から言われ
息子を抱いて泣いたのは
実家から離れて
たった一人で子育てをする
不安と恐怖から
だったと思います。
実家は関西。
頼れる身内が
近くにいる訳でもなく
母が手伝いに
来てくる訳でもなく
夫は子育てに
関わってくれるどころか
仕事が忙しく
ほとんど家にいない状態…。
アレルギーは
体質なので
どうすることもできない。
症状を抑えることが出来ても
完治させることはできない。
まだ若くて生真面目
だった私は
この現実に耐えらなくなり
母に電話をしましたが
残念なことに留守でした。
そして
この気持ちを誰かに
聴いて欲しくて
祖母に電話をしたら
祖母が
「〇〇ちゃんのお母さんは
クミちゃんしかいないのよ。
昔から何事にも研究熱心な
クミちゃんなら大丈夫!
きっといいアイディアを
思ついくから。
色々と研究してごらん。」
とさらりと
言われてしまいました。
でもその時
不思議と
やるしかない!
と思えたのでした。
それが母からではなく
祖母からの言葉だったから
よかったのかもしれませんが。
電話越しに
漠然と
無条件に
あなたを信頼している。
クミちゃんなら出来る。
というニュアンスを
感じたのです。
そうすると
不思議ですね。
信頼されているなら
応えよう!
思うものなんですね。
祖母は
プロテスタントでした。
アドラーを学び始めた時も
祖母の言葉がいくつも脳裏に
浮かびました。
今思うと祖母は
勇気づけの天才でした。
あの時の祖母の言葉が
あったからこそ
この
一生治すことができない
アレルギー体質という問題に
立ち向かえたのだと
思います。
不安と恐怖を受け入れた
あの時あの瞬間の
心の感覚を
今でも
はっきりと覚えています。
世の中には
命に関わる病気で
苦しんでいる
お子さんがいるのに
アレルギーぐらいで
泣くなんて
大げさですよね?
でも初めての子育てで
ただでさえ
赤ちゃんが呼吸をしているか
異常はないかと
毎日ハラハラドキドキ
していましたので
本当に
この世の終わりかのような
気持ちになったんですよ。
いや まじで…。
ですから息子が
海外へ行くだなんて
あの時は全く
考えられませんでした。
何とかなるものですね〜。
今日も最後まで読んでくださり