今日は自分の音楽キャリアを振り返ってみます。
よろしければお付き合いください🙇♀️
- 物心ついた頃から18歳まで、父の部屋から聞こえる爆音のクラシック音楽を聴いて育つ
- 5歳からヤマハのグループレッスン〜6歳教室が変わり、ピアノを習い始める。
- ヤマハのピアノスタディというテキストを最後の12まで修了。(これを最後までやる子はなかなかいないと後で他の先生から聞き、びっくり❗️猫の絵がついている子供っぽい楽譜じゃなくて、あの青い楽譜がいいなとあこがれていました)
- ピアノスタディと並行してツェルニー、バッハ、ソナチネ、ソナタ→ハノン、ショパン
- バッハでコンクールに出されそうになり、自分じゃ無理!と拒否。
- ショパンの譜読みができず挫折。(ピアノスタディにはカセットテープが付いてきて、聴きながら、音やリズムを確認できたので、楽譜だけでは読めなくなった)
- X JAPANに出会いロックに目覚める
- XJAPANのコピーバンドでキーボードを何度か経験
- 中学の合唱コンクールの伴奏する
- XJAPANの解散により、音楽愛が行き場を失う。
- クラブミュージックにハマり、久しく音符とピアノと離れる
- 結婚して娘が産まれ、表現豊かに童謡を歌い、読み聞かせを始める。(ぴーちゃんはうたのおねえさんが家にいるくらいの感覚で、今でも鮮明に覚えているそう。)
- 一歳半で車の半ドアの音を聞き分けた長女の耳に神様からのギフトを感じ、ヤマハのグループレッスンに4歳から一緒に通う。
- 長女が幼少期から作曲しているのを見て、作曲って誰にでもできるんじゃないかと思い始める
- 2016年、長女が脳出血で倒れた際にモーツァルトを聴きまくる
- 2017年のある日、キーボードを叩く私にあるメロディが舞い降りる(わたしいきてるの誕生)
- 2017長女と共に音楽活動を始める
- 2018長女が声楽を習い始める
- 2019長女が茂木美竹ミュージックルームでミュージカルに参加したことにより私もステージで歌うことに。
- 長女の声楽の自宅練習のため、歌曲の伴奏を練習し始める
- 長女の音高受験のためコンコーネとイタリア歌曲伴奏を弾きまくる(このためにピアノを習ったのか?と思い始める)
- 長女と一緒にコーリューブンゲン、視唱を学習
- 2023 わたしいきてる を配信リリース
以上、私の音楽史をざっくり振り返ってみましたが、
私の人生には常に音楽がそばにあったなぁと
実感
ぴーちゃんが生まれてきてくれたことによって
ぴーちゃんが私の人生に音楽を戻してくれた
感じがします。
キャリアの棚卸しは楽しいですね〜
皆さんもぜひやってみてください