こんばんは、わさんぼんです。

 

昨日は「やっぱり」と気づき直すことのもったいなさについて語りました。

詳細はこちらからご確認ください。

 

気づき直す、というのは、以前気づいていた、知っていたという状態を忘れることを指すと思います。

それは、一度得た知識を忘れ、再び知識化した、ということになります。

気づきのレベル(心への印象)が高いのに忘れてしまうのがもったいない、という話を昨日はしました。

 

今日もそれに似た話をするのですが・・・

 

今日の気づきは、「自分ってインプット過多でも疲れないのでは?」というものでした。

 

ここで重要なのが「~なのでは?」という終わり方なのですが、

昨日と異なるのが、「ぼやっとした曖昧な気づき、もしくは予感」のようなものだということです。

 

この気づき自体は実は、「やっぱり自分はインプットが得意なのでは」というものなのですが、

昨日と違うのは一旦気づいたことを「やっぱりそうなんだ」と思い返すのではなく、

「予感」が「確信」に変わる(近づく)「やっぱり」である、ということです。

 

情報系のYoutubeをよく見るのが好きなのですが(知識から好きな漫画の考察系まで)、

ここ一年ずっと倍速で聴くのになれてしまって、一日に何本も動画を観るようになっているんですね。

 

その話を友人や家族にすると、「よくそんなにずっと聞いてられるね」と言われれるのですが、

自分からするとそこまで苦に感じない、というか、

受動的に聞いているだけなので楽なんですよね。

 

例えば本って能動的に読まなければならないじゃないですか。

僕はこと読書が苦手なので、読書中に集中力が切れてしまい考え事を始めてしまうと、

数ページに渡って目で文字を追っていながら内容が全く頭に入ってこない

といった事象もよく体験するので、

読み返さなくてはならなかったり、途中で本を読むのにつかれてしまったりして(体勢的にとか)読書が嫌になってしまうんです。

 

その点、聴いているだけなら時間が経てばすべて耳から入ってくるし、自分はその入ってきた情報をただ理解するだけでよいので、

一番楽な体勢で聴くことができるし、理解できなかったらちょっと戻ったり遅くすればいいので楽なんですよね。

 

そういう理由で聴くのは得意なのですが、確かにそうするとインプット過多になってしまい、アウトプットできていないのかな、

という疑念がわいてきたのですが、その気付きは文字に起こしていなかったので、

起こすことで自覚できるかな、と思い文字化したのでした。

 

人間はアウトプットすることによって知識を定着することができるので、

予感の中身もアウトプットすることでちゃんとした「気づき」になり、

その後の行動に良い影響をもたらしてくれるのではないかと思いました。

 

インプットしたら即アウトプットする。

もちろんこのブログがアウトプットの場になっているのですが、

自分はインプットの量が多すぎるから追いついてないだけなのかもしれません。

アウトプットって時間かかりますし一度にたくさんできませんしね。

 

そういうことにも気づかせてくれた、今日の気づきからの考察なのでした。

 

ではまた!