元日に発生した「令和6年能登半島地震」から、7月1日で半
年が経過しました。
今朝の朝刊では、倒壊した建物や崩落した道路、液状化した
街並み、避難所などの震災直後と現在の様子を比較する写真
が見開き2ページに渡り掲載されていました。
避難所などが閉鎖されたり、瓦礫が撤去され更地になった場
所があったりと、少しずつ復興に向けて進んでいるように思
えます。
しかし,4月末に寺族全員で七尾市の若坊守の実家の寺へお
見舞いに行った時に通ったり、見たりした場所(のと里山海
道横田インター付近、かほく市の液状化した地域)は、震災
直後からほとんど変わっていないようでした。
若坊守の実家は、自分たちでできる復旧作業をして、後は業
者待ちの状態です。輪島の若坊守の母の実家は、本堂・庫裏
ともに全壊したままです。
県外の親戚寺院へ身を寄せ、自坊と行き来していた母の実家
の寺族は、近日中に仮設住宅への入居が決まりました。
もう1ヵ寺の叔母の寺院は、庫裏で生活しているものの、ま
だ郵便配達が再開されておらず、時々自坊から距離のある輪
島市内の郵便局まで受け取りに行く不便な生活を送っていま
す。
7月1日の段階で、避難所生活を送る人は2000人以上、輪
島市の朝市通りでは焼けた車や骨組みだけになった建物な
どが今もそのままになっています。
石川県内では、2万865棟の公費解体の申請が出されてい
ますが、解体や撤去が完了したのは911棟と4%余りです。
被害の規模の大きさと、半島の先に位置する被災地の交
通の便の悪さなどが、撤去の妨げになっています。
なかなか進まない復興。梅雨が明ければ、能登も厳しい暑
さになります。一日も早い復旧、復興を願うばかりです。
境内の蘇轍の雄花がこんなに長くなりました。まるで梅雨
空に打ち上げられるロケットの様です。