法要や聞法会などで歌われることも多く、恩徳讃とともに馴

染み深い仏教讃歌である「真宗宗歌」。

 

当寺では、上記の時以外に、毎朝の晨朝の最後に歌っており

土日や祝日など学校が休みの時は、子どもたちも一緒にお勤

めし、三帰依文を唱和後、寺族全員で真宗宗歌を歌っていま

す。

 

一番から三番までの歌詞を改めて読み解くと、これまでの自

身の人生の中で、その時は気づいていなくても、真宗宗歌の

こころを感じていた時がありました。

 

今日はまず、一番の歌詞とともに書いていきます。

ふかきみ法(のり)にあいまつる

身の幸(さち)何にたとうべき

ひたすら道を聞き開き まことのみむねいただかん

 

真宗宗歌の一番の歌詞です。真宗各派により様々な解釈があ

りますが、真宗大谷派での歌詞の意味は次のようになります。

 

「深いみ教えに出遇うことができた私の幸せを、一体何に例

えることができるのでしょうか。ただひたすらに聞法し続け

真実をいただきましょう。」

 

京都の大谷大学で真宗を学んでいた頃、それまで自分の人生

について迷い悩んでいた心が徐々に軽くなり、生きていくの

が楽になっていくのを感じました。

 

阿弥陀様の本願念仏の教えは、周りと比べて自分は駄目な人

間だと悲観的になる必要はないということ、また、ご縁によ

っていただいた命を精一杯輝かせればいいと説いています。

 

実際に悩みごとなどがすぐに解決するわけではないのですが

その悩みをもった自分自身が、このままの私でいいのだ、私

は私の人生を歩んでも構わないのだと肯定され、自分の人生

に向き合う力をくれました。

 

振り返れば、まさに真宗宗歌の、「教えに出遇うことができ

た喜び」を歌った一番の歌詞の心境でした。学生時代は、授

業で常に真宗の教えが身近にありました。聞法し続け、考え

続けることのできる環境がありました。

 

しかし卒業し就職した後、真宗の教えの場から離れることに

より、また迷い悩んでいた頃の自分に逆戻りすることになり

ます。それについては、また明日以降のブログで書いていき

たいと思います。

 

庫裏の玄関前の柿の木に咲いた小さな花。