先週、小6の二男が京都へ一泊二日で修学旅行に行って来

ました。二日間という短い時間の中で、かなり多くの場所

を見学することができ、「楽しかった!」と大満足の旅行

だったようです。

 

修学旅行の行程表を見ると「京都の観光名所は,神社・仏

閣が多い」です。宇治の平等院鳳凰堂から始まり、金閣寺

銀閣寺、清水寺、三十三間堂と、神社・仏閣巡りです。日

本人をはじめ国籍も年齢も関係なく,観光客も多かったそ

うです。

 

私自身も中学校時代の修学旅行や、京都に在住の頃,寺を

拝観しました。どの寺院も、多くの観光客で賑わっていま

した。京都の神社・仏閣に心惹かれるのなぜでしょう。

 

眞養寺もよく参詣者の皆様から「いつもきれいにしていま

すね」と言われることがあります。毎日散歩で本堂の前で

合掌される方、散歩中のお父さんが本堂を眺めて「きれい

やねぇ」と幼子に話しかけている親子の姿、「口コミの評

判がよかったから」と、遠方から撮影して行かれる方もい

ます。またネット上に1分30秒の動画を配信してくださっ

た方もあります。

 

なぜ、人は仏閣に心を惹かれ庭園に心惹かれるのか。

「心が落ち着くこと」もありますが,神社仏閣でも庭園で

もすべては「対称形」を基本としています。人間を含む動

物には目がふたつあって距離を確認し,左右のバランスに

惹かれています。不変と普遍を求める人間力でしょうか。

 

私たちは亡き人々との関係でこの距離が保てていますか。

定着した葬儀の簡便化や、急増する仏壇じまい、墓じまい、

核家族が増えたことによる家族間での教えの相続の難しさ、

そして寺離れなど、全国的に寺を取り巻く状況は厳しいで

す。人間と仏との距離は拡大しています。

 

しかし、観光の面においては、昔も今も人々の関心の高さ

に大きな変化はないように思います。このことは人間には

仏心が備わっているように思えます。

 

本堂や美しい庭を見て心が落ち着いたり、阿弥陀様に向か

って手を合わせることで癒されたり、自分を見つめ直した

りするのは、普段宗教に興味はないと言っている人も、自

分の気づかない心の奥底で、お浄土の世界や手を合わせる

場所、ご縁を結ぶ場所を求めているからではないでしょ

うか。これが仏心です。

 

ご門徒、有縁、地域の皆様がいつ来られても、寺が参詣者

の思いに応えることができるように「普遍」と「不変」を

求め,我が宗派の教えを伝えてまいります。精進いたしま

す。

 

四季折々、当寺の本堂と境内、中庭風景です。

春。八重梅の花が満開。

 
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夏。木々の緑が色鮮やか。
 
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秋。紅葉した中庭のドウダンツツジ。
 

冬。雪化粧した早朝の本堂。