寺族全員で、石川県七尾市にある若坊守の実家の寺(真宗

大谷派 覚永寺)へ、能登半島地震のお見舞いに行ってき

ました。発災後すぐ思い立ってはいましたが,道路事情も

あり,やっと実現しました。

 

北陸道を降りて、のと里山海道へと向かう津幡バイパスの

辺りから、道の両側の集落の屋根の棟瓦が落ちており屋根

全体に雨漏りを避けるため棟がブルーシートで覆ってあり

ます。

 

しかしまだ地震の影響を大きく感じることはありませんで

した。里山海道を走り出しても、しばらくの間は美しい日

本海や、満開の山桜、藤の花など、故郷の能登の自然豊か

な風景を見ることができました。

 

実家の近くの横田インターが近づいてくると急に道幅が狭

くなりました。谷内(やち)を埋めて造成した道路の部分

は崩落しており道幅は狭く片側一方通行で,上り方面は通

行禁止です。道路の山側は崩落しているところが多く,土

砂止めが多くされていました。

 

実家最寄りの横田インターを降りると、多くの家の屋根の

上(特に棟の上)にはブルーシートが掛けられ、全壊・半

壊の家も見えました。

 

若坊守の実家では、住職夫妻(若坊守の実父母)、兄夫妻

が出迎え、まずは全員で寺の周囲や本堂、庫裏の被害状況

を見て回りました。

 

特に本堂は向かって右側に地盤が沈下し、基礎にひずみが

大きく出ており,基礎の束石と束木が壊れていたり,外れ

ています。基礎のやり直し,建て起こしが必要だと思いま

した。経年劣化もあるとは思いますが本堂の基礎部分が思

っていた以上に深刻な状態でした。

 

堂内ではそのひずみが壁のひび割れ,建具のねじれなどを

ひき起こしています。

 

四国の青石で作られた8トンほどの大きな寺標が倒れてい

ます。これは25トンクレーンで吊り上げるしか再建は不

可能です。奇麗な寺標です。もったいないです。

 

鐘楼堂は大きく基礎の礎盤石から離れており200年以上経

過した鐘楼堂の石組も揺るみが大きく安定感を取り戻すに

は基礎石からの修繕が必要です。

 

さらに庫裏の内部はいたるところで壁と柱の間に隙間がで

きており仮修繕がされています。鴨居の外れも見受けられ

ました。

 

しかし,この状態でも被害が少なく居住ができるという点

で,また本堂の崩落も避けられたということで被害がすく

なかったと言う対外的な判断があるようです。ほかの本堂、

庫裏に被害の甚大さが予想できます。

 

発災後,初めて両家族が揃って食事をし、短い時間でした

が話も弾み楽しいひと時を過ごしました。お互いに再会を

喜び,生きていて良かったことを確認しました。

 

「みんなが揃って会えるということが、いかに楽しいこと

かということを改めて感じた日だった」と若坊守の家族に

もお見舞いと無事の確認を喜んでいただきました。

 

帰り、兄夫妻に送ってもらう途中、地震の影響で液状化現

象が酷かったかほく市の地域を通りました。電柱が道路側

に向かって斜めに倒れかけた状態で立っており、両脇の家

々はコンクリートが割れて土地が盛り上がり、家も歪んで

います。

 

ほとんどの家の玄関には「危険」と言う赤い紙が貼ってあ

り,人々の生活の匂いはありません。新築と思われる家も

何軒もあり、地震の生々しい爪痕を感じ、皆「うわぁ…」

「これは酷い」という声しか出ませんでした。

 

震災から間もなく5か月になろうというのに、町はあの日

のまま止まってしまっているようでした。具体的な支援や

政策等がなかなか進まないとのことです。

 

子どもたちの感想。

長男「鐘撞堂は直るのか。液状化した町を見て、人が住め

なくなり可哀そうだと思った」

二男「危ない所は危ないままだった。もうこれ以上地震で

亡くなる人が出ないことを祈る」

子どもたちも自分たちの目で直接見て、様々な思いを持っ

たようです。

 

最後になりましたが,今回の能登半島地震に際し、若坊守

の実家の寺へとお見舞いをいただいたすべての皆様に、心

より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

午前8時半に出発し、帰宅したのは午後8時半を回っていま

した。家族には日帰りで長距離の移動をしてもらい、大き

な負担をかけましたが、全員で一緒に行くことができ、本

当に有難く嬉しく思います。

 

本堂の床下。束石が割れて柱が浮いています。

 

束石からずれた柱。

 

鐘撞堂。束石が割れましたが立っています。