昨日は「仏壇じまい」でした。最近ご依頼の多い「墓

じまい」についても触れておきます。そもそも「墓」

って何ですか。考えてみましょう。

 

墓じまいを希望される方は「墓を見る人がいない。花

の替えが大変である」「無縁になるから」と言われま

す。どこに住むかわからない子孫に墓は残せない。自

分の代で解決したい。

 

お墓は「お骨」のあるところです。「お骨」は墓に納

骨するものと宗派の本山に納骨するもののふたつが葬

儀後用意されます。葬式そして灰葬後還骨を経てお骨

を墓に納骨される方が少なくなりました。お墓を持た

ない方も増えました。

 

以前は火葬場とお墓は隣同士でした。すぐにお墓に納

骨できました。僧侶もお墓で納骨の読経をしました。

還骨した「お骨」がどこにあるかが明確にわかりまし

た。だから春秋の両度の彼岸,そして盆暮れには墓参

りをしました。

 

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(お盆の墓参り)

 

年に4回は先祖や両親のいるお墓にみんなが寄り集まっ

たのです。そして先祖や両親を偲び語り合い,食事を

しました。それが故郷に錦を飾る儀礼でもありました。

故郷を出て成功すればお墓に報告していました。

 

ここでも仏壇と同じく先祖と両親と再会できる場があ

りました。いわば感謝報告の場でした。そうすること

で「自分もまた親と同じように生きて,この地で手を

合わせている」と思えました。

 

墓は先祖や両親とともに生きたことを確認する場でし

た。それができなくなり死後どこに帰るか,どこに戻

ればいいのか死んだらどうなるのかかがわからなくな

ってきました。

 

多くの依頼主の方が,墓を持たず火葬後,忌明けが

済むと本山収骨を希望されます。

これもお骨は本山にあることなります。希望される方

は増えています。お墓が必要でなくなりました。

 

(東本願寺 御影堂)

 

身近にお墓を持ちたいという方もあります。墓じまい

の是非について考えることは難しいです。所詮は人間

のなせる技です。答えはありません。すべてを阿弥陀

様にお預けして手を合わせる以外にありません。

                  南無阿弥陀仏。