法名釋精貢 四七日法要を本堂にて勤めました。

 

(四七日法要)

 

3人の兄弟がいつも夫を亡くした母親とともに参詣されます。

参詣される母親と3人兄弟は正信偈の唱和に熱心に取り組ま
れます。

 

四七日の法話として,「仏に出遭うということは故人の生き

方に出遭うことです。故人の思いに出遭うことです。これが

仏を思うこと。つまり,仏を念じること。これを念仏と言い

ます」

 

「念仏に出遭われたと思ってください。ここから正信偈を唱

和し念仏を深めていきましょう」

 

(三七日法要 正信偈唱和)

 

 この住職の話に耳を傾けた二男が「父の夢を見た。涙が出

た。同じ思いで母が一人でいるかと思うと母を故郷へ連れ

ていこうと思った。」と。スマホで故郷に立つ2人の写真を

見せてくれた。

 

この話を聞いていた長男は「寂しい思いをしている母を気が

晴れるだろうと桜を見に連れて行った」と話した。

 

この二人の話を聞いた母は「三男はすぐに家に来て,家の中

を直してくれる。」と話します。

 

息子たちに挟まれて目に涙をためながらて嬉しそうに話し微

笑む母親。その嬉しそうな笑顔は美しかった。

 

これが本堂の中でお勤めが終わり法話の後,立ち話の話です。

お互いに心配し合い親子間の距離を父の死が生存中よりもよ

り深く近いものに変えてくれた。

 

ここには家族全部で亡くなった方を思う気持ちが,仏を思う

念仏として表現されています。と住職は説明しました。

 

最後に「親鸞聖人はこのような逆縁の中で残されたものが力

を合わせて,互いに労わり,思い合うことで家族がともに生

きること」を説いています。

 

いい話が聞けました。南無阿弥陀仏。