住職大ピンチの経過

3月20日過ぎから,口内炎が治らず免疫力の低下に気が

つき,やがて食欲が低下,体重が2キロほど減少。

動悸が激しく。5mも歩くと息切れ。読経ができない。

 

いつもと同じように時間をかければ治ると考えて,嵩

をくくっていた。

 

ところが3月25日頃から2階への昇降が難しくなってきて

息切れがして登れない。夜トイレに起きるが階段昇降が

苦痛で耐えられない。

 

主治医に診断を受けた。「危ないです。肺が曇りガラスの

ようになっている,気管支から肺にかけて白い。酸素が

入っていない。」呼吸不全を起こす。これは即死を意味

する。「今夜でも入院してください。I病院かY病院の

紹介状を書きます」と言われた。一応帰宅した。

 

ほんとに背筋が凍るほど寒気を覚えた。その夜は眠れな

かった。翌日I病院で診察,原因不明の肺炎とわかるが

「気管支専門の呼吸器内科でないとわかりません」と診

断された。入院の準備は完全であった。

 

ところがここで気管支専門医のいるY病院を紹介された。

帰宅後に症状はピークを迎えた。呼吸,息切れ,胸の痛

み,発熱38.5度,頭痛,血圧220と。これはいかん。

 

眠れない,何が何でも明日入院するぞ。悶絶の眠れない

夜を過ごしY病院に向かう。呼吸器内科の気管支専門医

から「急性好酸球性肺炎」と診断された。

 

これは「ステロイドの点滴」と「抗生物質」で対抗。専

門医はさすがである。帰宅後急速に回復。自分でも驚く。

「助かった」「息苦しくない」「呼吸ができる」と当り

前のことが「嬉しくてたまらない」。

 

それから1週間の薬を専門医の指示されたように飲む。

体調がどんどん戻る。欲が出る。助かることばかり考え

ていたが,欲が出て,「死ぬまでに旅行に行きたい」とか

「おいしいものを食べたい」とか。

 

息苦しさの中で三途の川の向こうが見えたが,振り返り

お花畑とおいしい食べ物がいっぱいのお皿が見えた。

人間の欲は尽きない。しかし欲がないと生きられないこ

ともわかった。

 

副住職や若坊守に三途の川の手前で言った言葉が恥ずか

しい。でも住職も並みの人間,愛しき人間であったと仏

様も許してくれるでしょう。

 

専門医は「寛解」という判断と思う。完治ではない。一

カ月間様子を見るために薬を減らして飲み続けてくださ

い。病院の帰りに坊守と2人で食べた好物の餃子と五目

ラーメンは「生きててよかった」と思わせてくれた。

 

ありがたいことである。助かったのだ。

 

若葉が出てきた中庭奥の臥龍梅。

 

梅の実もつきはじめました。