先の日曜日、14時から市内の笠田新田の観音堂(村持ちお

堂)で女人講の報恩講が営まれ、後住(副住職)が勤めま

した。

 

女人講(にょにんこう)とは、女性だけで組織され、月に

一度、あるいは年に数度、定められた日にお手次寺や村堂

に集まる信仰的な講(集会)のことをいいます。

 

観音堂は数年前より高齢により住職が転居、現在は地区の

人たちの信心により,春秋永代経をはじめ,報恩講,女人

講,和讃講などが営われてきました。お堂そのものが信心

の証でした。

 

勤行後に副住職に法話を依頼されましたが、直前での依頼

だったため、十分な準備をすることができないまま,副住

職の初布教デビューとなりました。

 

布教内容は,

「元日に発生した能登半島地震では、多くの方が建物倒壊

や火災、津波被害によって亡くなりました。報道される被

災地の様子には、手を合わせている人の姿をよく見ます。

悲しみと絶望の中で、手を合わせるその姿に信心をみまし

た。」

 

報恩講で拝読する御文があります。

蓮如上人が書かれた五帖御文の第五帖の十通目の御文です。

 

『聖人一流の御勘化のおもむきは、信心をもって本とせら

れ候う。そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心

に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたよ

り往生は治定せしめたもう。』という一節があります。

 

「親鸞聖人の教えとは、信心が最も大切であるという教え

です。その理由は、自力の心をすべて捨てて、ただ一心に

阿弥陀如来の教えを聞くならば、私たち人間の思いをもす

べて超えた仏様の本願力によって、私たちは往生できるの

です。」という意味です。

 

被災地の方々が手を合わせる姿に、これまで能登の地で、

長い年月をかけて真宗の教えが溶け込んできたことが表れ

ています。親鸞聖人の最も大切にされた信心がそこには根

付いていました。

 

緊張した初布教デビューは無事に終了しました。参詣者の

信心により初布教は支えられました。

 

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開花した境内の白梅。