我が街も寒中らしく24日と25日は大雪に見舞われた。40

cm超である。友人の長男が還浄した。42歳だった。24

日お通夜・25日葬儀。友人夫妻の慟哭に心が痛んだ。長

男は寒中の寒さとともに彼の死を心に刻むことになった。

 

同じ悲しみの風景が脳裏をよぎった。1987年松竹映画「

白い道」である。越後から関東に下った親鸞は我が子の還

浄に遭遇する。

 

妻の恵信尼が止めるにもかかわらず,親鸞は野に枕木を積

み重ねたようにやぐらを組み,火をつける。その上に我が

子の遺体をのせて荼毘にふす。恵信尼の涙を思う。

    写真は上は法然と下は親鸞のまなざしである。

恵信尼はこの親鸞の行動に耐えることができたかと思う。

 

住職は冷ややかな顔をして葬儀をしているようにみえるが,

実はそうではない。人類の特徴で悲しみは伝播する。

感情移入がはじまる。妻の前で我が子を荼毘にふす親鸞は

人間のありのままの現実を伝えている。

 

私は葬儀最後まで迷った。友人夫妻にどんな話をするか

迷った。「親にとって子どもはいくつになっても子どもで

す」「外で遊ぶ息子にご飯と声を掛けたり,学校に遅れる

よと急がせたり,日常で積み重ねた息子への思いを拾い集

めて心のなかに彼を刻みましょう」「決して忘れてはいけ

ません」「心のなかの彼に念仏を言いましょう」「仏心は

私たちの心の中にあります」と話した。

人は悲しみに遭遇すると大きく変わります。これを仏法で

は「機」と言いました。どうとでも変わる人間の姿の中に

「法」は存在します。これを「機法一体」と言います。

私も彼を忘れることはない。これは念仏を申す僧侶の責務

である。南無阿弥陀仏。