日教組について正しく知るべきだ | 王様の耳は驢馬の耳

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言いたくても言えないことをここで言ってやる。

 教職課程を受講してくる18、19歳の学生に初めて講義する際、「選挙に行かなかった者は教員になる資格はないから、そのつもりで。」という一言を言うようにしている。その時は教室の中にちょっとした緊張感が走る気がする。この国の国是として基本的人権があることは誰もが知っていることだ。その中には選挙権もあれば、労働者としての団結権もある。そうした保障されるべき権利に対する認識を持っているかどうかは、この国の国民形成を担う教職員にとっては重要なことである。そして、その権利を行使しない人間に国民形成の重要な役割を担わせるわけにはいかないのは当然の理であろう。少なくとも教職課程の受講者の投票率が上がってくれ、卒業生が教職員組合をはじめとする労働組合に入ってくれることを信じたい。
 教員が組合に入らないというのは、教師自らが労働者としての権利を放棄していることである。国民の権利を教えるという任務がありながら、自らは組合に入らないというのはなんとも説得力のない教育現場の現実ではないだろうか。実際、現実は悲惨な状態になっている。その教職員の労働組合である教職員組合の加入率が非常に少なくなっているのである。文部科学省の調査によれば、昨年10月1日の段階で、日教組の組織率は21.7%に下がり、史上最低となったという。1958年には86.3%の組織率であったものが年々下降を続け、ついに20%台を維持するのが危うい数字になってきた。また、組合員の多くを占めている年齢層の教員が大量に定年退職する一方で、若い教員がなかなか組合に入りたがらないのである。また入ったとしても組合費が俸給とリンクしているので、財政的にもきびしくなっていると聞く。
 教職員組合をはじめとする教育団体について言及した講義の後、ひとりの学生から問い合わせがあった(遠隔授業になってから直接の質問はしやすくなった。これはコロナ禍の「不幸中の幸い」だろう)。「教職員組合には必ず入らなければならないんですか」という質問だ。そうすると日教組は偏向教育をする団体だというような風聞をどこかで聞いてきたらしい。
 「日教組の強い学校では国歌は歌わないし国旗は揚げない、ということを聞いていたので・・・」などという今やまさに都市伝説みたいなことを信じて不安になっていたようなのだ。そんなところは今や日本中探しても見つからないであろう。むしろ現実の組合員をみれば、ごくふつうのセンセイたちでしかない。日教組がストをしたのもいったいいつのことだろうか。日教組が文部省と「歴史的和解」をした後に生まれた学生たちにしてそのような風聞を耳にしているのだから、日教組に対する偏見には根深いものがあるようだ。
 ということで、先般、広田照幸氏らのグループがまとめた『歴史としての日教組』上・下(名古屋大学出版会)を読む機会を得た。これまでは噂話と怨念的偏見的体験談だけで語られてきた日教組論がまかり通っていたが、この本は日教組の倉庫に山積みになっていた資料をもとにしたとりあえずはまっとうなに日教組の歴史を描いた論文集である。
 上巻では、日教組という組織が作られていく過程を丹念に検証した研究論文や、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンが誕生した秘話であったり、「教師の倫理綱領」の作成経緯を解明した論文があったりで労働運動史的にも、また戦後の教育思想史としても興味深い内容だ。草創期の日教組というものの産みの苦しみがよくわかる。一方、下巻は80年代以降の内部抗争や文部省との歴史的和解、そして路線転換などの経緯もつぶさに検証されている。殊に主流右派と主流左派との間の四〇〇日抗争、反主流派が分裂する過程などの組織問題は実におもしろい。
 世に日教組嫌いは多く、その多くは日教組のなんたるかをまったく知らずに日教組を誹謗している。安倍首相が予算委員会の席上、民主党(当時)の玉木雄一郎議員に、唐突に「日教組!」と野次を飛ばして、委員長からたしなめられたという一件を思い出す。文科大臣を務めたこともある中山成彬は「がんは日教組だ」とかなんとか暴言を吐いて国土交通相を辞任することになったのもまだ記憶に残っている。そのような妄言に振りまわされず、妄言を駆逐し、教職員としての大義をまっとうするつもりならば、まずはこの上下二冊に目を通してみてほしい。高くはない。コロナ禍で行かなかった呑み代をまわせば買える値段だ。そして、組合に入ろう。